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真夜中の蠅 [黄昏に向かって]

今日は敬老の日、「でも敬老とは何歳からかしら」。そこで早速webで調べるとおおむね65歳からとあった。そうかそれならば充分該当すると喜んでみたものの、実は私しの場合は困るんです。敬老の日のお祝いはいらないからもっともっと働きたい! これが切なる願い。命ある限り社会と係わりあっていたい。
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さてその敬老の日の今日、いつも通りに教室へ。遠くから来て下さるNさんとお茶をしながら1時間ほど雑談。幾つまで働きたいか、どんな仕事がいいか等々。プールでのエアロピックスで鍛えたスリムな体は敬老を祝ってもらう側の人とは到底思えません。その後90分時間ほどのレッスン。大汗掻きます。夏バテ気味の私ですが、歌うほどに気力も体力も回復する感じ。やっぱり歌っていいです。
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早めに帰宅できた私。冷蔵庫のパンプキンプリンを2個平らげて大満足。その後今日も飽きずに古い写真の整理。まだまだ残したい写真ばかり。いい気分でTV観賞。ジャンルが違う歌もしっかり見ます。最近の願望はジャズを歌いたい!事。未知の分野ですから…是非習ってみたい!でも夢に終わりそうですか?
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そう言えば今夜はいやに虫が飛んでいます。数日前から泣き始めた秋の虫に替わってブーンブーンとしきりに飛んでいます。あっ蠅!さして美味しいものがある訳ではない我が家の台所、そうか夕食の生姜焼きの匂いに釣られて来たのかもしれません。何とものどかな初秋の夜長です。おやすみなさい。
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あの夢もこの夢もみんな夢、いいえ夢では決して終わらせたくはありません。幾つになっても夢を追い続ける、挑戦し続ける! そんな人生を送れたらいいでしょうね。
(今夜も過去物の写真ですがご覧いただけたら嬉しいです。自然の中にいる草花も小さな動物たち、どんな夢を見ているのでしょうか?)
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『かぼす』に恋して。 [黄昏に向かって]

料理は上手ではないかも知れません。しかしアイデアひとつで美味しく食べています。(自信過剰?)その理由としては祖母も母も食への拘りは強かった方でしたから。そう思っています。
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昔はそうでなかったのですが、今の私は母や祖母の味に近くなって濃い味になってきました。そこで健康を気にし始めるようになった今、かなり薄味にしています。
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ところがいくら食べても満足しない薄味に思案した結果が現在の料理法になりました。その料理法とは蒸し料理。大きなフライパンと同じ直径の蓋。ただこれだけ。
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材料は肉・魚。野菜はキャベツ、セロリ好きな野菜。かぼちゃやジャガイモ、サツマイモなどは必ず。それにシイタケ類、パプリカやピーマン甘口唐辛子。それらの中から適宜に。
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肝心な調味料はブラックペッパーと塩(微量)。これで蒸し上げます。別皿に果汁(レモンorゆずorかぼすorすだち等。)
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いろいろ食べ比べてみましたが、かぼすは甘みもありまろやかです。お醤油は適宜に果汁に混ぜて置き、蒸した肉野菜や魚野菜をそれをつけて食べます。もし酸っぱかったらお水少々。
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私の日に三回の食事がすべてこの料理ではありませんが、日に一回は出来る限り食べて行けたら嬉しいです。何だか体中に栄養が行き渡るような気がします。あとの2回はご飯またはお蕎麦、極細ソーメンなどです。ご飯にはは梅干しや根昆布とろろ、麺類はキノコやネギを入れ卵とじに。
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今まで食事にはあまり関心なかった私ですが、『かぼす』に出会ってからは家で食事を作るのが楽しみになりました。一人暮らしの食事は無味乾燥でしたが、温かい蒸し料理を大皿一杯に盛り食卓に置くと、何だかとても幸せな気分です。これも『かぼす』に出会えたお蔭です。ちなみに『かぼす』の主な産地は大分県だそうです。

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曼殊沙華 [夢半ば]

教室に響くあの歌、昔、むかしに私が口ずさんだあの歌です。♪赤い花なら曼殊沙華、阿蘭陀屋敷に雨が…この長崎物語を聴くと何故かとても切なくなるのです。
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教室の通信カラオケで長崎物語を送信すると長崎の名所、グラバー邸や興福寺が映し出されます。このシーンで私の目はいつも釘づけ。グラバー邸へは19歳の時に母と訪ねました。そしてもう一つの興福寺へも母と。興福寺山門を降りたところにタバコを商う店があった気がするのですが。昭和37.8年の頃です。この山門の前が父の実家でした。
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若い時分の父は長崎を出て東京おじさんの家に寄宿していたそうです。母が九段の女学校を出て働いた丸ビルの喫茶店で知り合った二人、私の名前、都(みやこ)はそんな理由で付けられてそうです。父は母と私を連れて長崎に戻りたかったようです。
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その長崎のをテーマにした長崎物語。哀愁あるメロディーが今でも『父恋し』の私の心に響きます。赤い~花なら曼殊沙華、オランダ屋敷に雨が…。
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9月の憂い [歌人生]

夏から秋への狭間にある9月、まだまだ暑い日も多いし雨の心配もあるけれど、私の一番好きなこの季節です。しかしここ数年、いいえ夫に逝かれてしまってからは憂いの多い9月になってしまいました。
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他の方から見れば些細な事なのですが、案外これが私の心には重くのしかかります。私の歌の道を確かなものにしてくれた母校は浦和にあります。その学校の年に一度の大イベントが毎年9月下旬に行われます。
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場所は浦和にある埼玉会館。あそこの小ホール催されるライブコンベンションは私の憧れのステージでした。入学の年は亡母が着た豪華な訪問着で出場。親戚や友人まで招待して晴れの舞台を踏みました。
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あれから十数年の歳月が流れました。最初は健康の為に、そんな動機で入学しましたが学ぶうちにその面白さ難しさを知り、すっかり歌の虜になっていた私。幸い亡夫の協力もありCDデビューの後に歌手デビューもし、テレビ歌番組への出演なども経験させて頂きました。
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しかし2012年、夫の急逝により歌手生活を続ける事が不可能な状態になりました。それでも学校の行事であるライブコンベンションへは出来る限り参加していました。しかしここ2年程は体調不良の他、当日の衣装などに掛る費用の捻出が難しい状態になってしまいました。
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勿論着飾る必要があるか否かは個人の考えです。でも女性はやっぱりお洒落はしたいです。だって晴れの舞台ですから。しかしもっと考えれば、私達講師は後輩の見本に成るような歌を披露する立場ですから、衣装云々ではない!かも知れません。しかし、しかしやっぱり女ですから…。
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そんな訳でこの秋、あんなに待ち望んだ初秋が来たというのに今年もまた9月の憂いは続きます。





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その心は深い海のような [夢半ば]

月に2回ある連休、今回は大事な2日間が仕事で終わってしいました。しかしとても大きな収穫もありました。そして気が付けば前にも増してやる気が充分な自分がいました。
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実は数か月前から喉と胸の痛み。「ひょっとして」「もしかして」等々の不安が募っていました。そんな中での休日は大事なのですが、生憎覚えなければならない曲が多すぎて休んでいられない状態に。仕事があることは嬉しい事なので休日返上で頑張ることにしました。
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そう言えば最近は大汗をかく程の自主トレをあまりしていませんでした。5年程以前には色々の出番もあり、その為の体力づくりや歌のトレーニングも常に心掛けていました。しかし今はすこし事情が違うのです。昼間のレッスンだけで、それ以外は出来るだけ休養に当てていた私。体がこれ以上酷くならないための休養でした。
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それに頑張ってようやくここまで来たら、気が付けば近所には同業者が集結していました。色々な手口で私の聖域を犯し始めています。競争社会ですから仕方がない事は承知していても具体的な事実を知ると私の心はざわめきます。その結果、心臓がドキドキして頭痛が収まらず、胃の調子も悪くなり、眠れなくなりました。
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それでも指を咥えて時を待つのは嫌いな私、何らかの手を打とうと悪戦苦闘の日々。私にはどうして正義の味方が現れないのと、さめざめ泣いても何事も起こりません。仕方なくまたスタートの初心に戻って出来る事からコツコツと。
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そんな日々が続いた今日、例によってあまり調子の出ない私、その時ある言葉を思い出したのです。そう、あのキーワード、あれは若しかして恩師T先生の秘伝?そう思ってしまった私。そうなったらもう無我夢中、手応えあるまで歌い続けました。
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いつの間にか夕方になっていました。生徒さんへのレッスン曲や、昔の歌、自分のオリジナル曲、大好きなコーちゃん(越路吹雪さん)の曲、父の故郷長崎を忍んで『唐街雨情』も歌いました。そして難関の曲に差し掛かりました。この曲はかなり高音域の多い曲今日でした。
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ところが、どうしたのでしょうか、案外苦労せずに何とか歌えてビックリ。思ったより低いのかしら?と思っては見たのですが。しばらく考えていた私、突然閃いたのです。そうか、若しかしたら、これがT先生の仰ったなぞなぞのような言葉。この現象があれなのかも知れないと。
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大空に向かって気持ちよく歌っている自分がいて、その心は深い海のような静かな状態でした。今までの自分が嘘のような境地でした。俄かには信じがたい話ですが、私はこう思います。このインスピレーションの先にあるものそれが、無我の境地、これこそが歌の本質なのではと。(だったら嬉しいのですが)


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『歌は語れ、語りは歌え』 [歌人生]

歌は語れ語りは歌え。判じ物ようなこの言葉、実は歌を志すものとしての道しるべです。私は物心ついてから歌い続けてきました。幼少期に父をなくし母と祖母との三人暮らし。近所の子供たちとは遊んではいましたが、何処かさびしい私でした。その気持ちは母も同じ、いいえもっと深いものだったと思います。
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母が教えて呉れたのか父だったのか『お山の杉の子』という童謡がありますが、その歌詞の一節にこんな言葉があります。 『なんの負けるか いまに見ろ』というくだり。この言葉は幼い私のいわば座右の銘でした。当時体も小さく父親もいない私はよく虐められては泣きました。しかしそんな日々でしたが、家ではいつもこの歌を歌っていました。三つ子の魂というのでしょうか、逆境は私を強くして呉れました。
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さて歌の講師職業になった今、今度はこの『歌は語れ、語りは歌え』この実践と指導が今の私の全てです。少し無謀にも思われる遥かなる挑戦です。人の心に沁みる歌、そのためにはこの判じ物のような言葉の意味を理解し、実践しそれを伝えてゆく。このことこそ、私が生かされている理由に思えてきました。
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何気なくじゃべる言葉だけれど有る時は人を救うことも、ある時は人の心を傷けることも。語るように歌うことの難しさを日を追う毎に感じてもいます。しかし今は自信をもって人に指導できるようになりました。すべて恩師のおかげです。厳しかったけれど信念がぶれない指導のおかげです。
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すでに晩年に差しかかった私ですが、教室へ通って下さる生徒さんお一人一人にこの宝を伝えてゆきたいと思っています。秋にはその第一弾もスタート。街の片隅からの小さな挑戦ですが、一念岩をも通す。これも母が好んで使った言葉です。 お母さん、見ていてくださいね。
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(今日の写真は2013年冬、すべての道は閉ざされた筈なのに、大雪の朝、運命の糸が結ばったのです。歌への挑戦がここから始まりました。)

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期待してもいいですか? [黄昏に向かって]

気持ちのいい朝です。夏バテ状態からやっと抜け出した感じがします。今日は日曜日ですが、開講日なのでこれから朝ごはん。一人で食べる食事も5年という歳月の中でようやく普通になりました。気持ちも充実してきました。
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数日前に財布を変えてみました。夏の初めに買った黄色い財布、フクロウさんのイラストがカラフルな財布です。購入から宝くじを入れて仏壇に。ご先祖の助けを頂いて一気に億万長者へ!と。 夢です。ささやかな出費で大きい夢を見ていました。
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さてその財布を使用する日が来ました。現在は黄色のクロコダイル風の財布です。そこでフクロウの財布から宝くじを取り出し宝くじセンターのサイトで調べてみました。胸をドキドキさせて。ところが…、なんと、当たりが次々に。昨年末から購入回数が7回、購入ごとに袋に入れたままの宝クジ、7回のう6回分に当たりが各一枚あったのです。
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ご存知のように宝くじは連番で10枚買えば確かに末尾が一枚当たります。大概100円か200円ですが。しかし私は連番は1セットのみ、あとはバラで2枚か3枚しか購入していません。夕食の買い物帰り、小銭入れを覗きながら買った宝くじ。今回は昨年末から5月ぐらの間に買ったものでした。勿論、当選金は最小単位ばかりですが。
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とても嬉しいのです。が、不思議な気がしました。これはもう『吉兆』以外はありません。「頑張れ!」というご先祖からの伝言だと思っています。なんだかこの秋は好い事がありそうな。頑張りま~す。11月からは昨年に続いて公開の講習会で今回も講師を致します。去年より進歩した私を見て頂けるよう頑張ります。

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星のイヤリング [青春の残像]

小さな星屑のようなブルートパーズイヤリング。ふと目に留まった乙女チックなイヤリングを買いました。誕生日の記念です。私には不似合いの気もしましたが、この夏の思い出にもなると思って…。
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兎に角、悲喜こもごも暑い夏も終わり、明日からは9月。数日かけて4年目に入った教室の資料を作成しました。2日もかかってしまい自分でも吃驚です。
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この程度の書類ならどう考えても1日、いいえ半日で作れた筈なのに。分厚い提案書だって、印刷屋さんへ依頼するチラシの原稿だって、こんなには掛からなかった筈なのに。そしてまた落ち込む私。おまけに信じられないアクシデントが続けて2件起きてしまい、ますます弱気になったまま一夜が明けました。
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それでも案外目覚めよく朝を迎えた今日、しかしその爽快感も数分で敗れました。喉がひりひりガラガラ。幸いなことに31日の今日は教室はお休み。そこで仲良しのⅠさんに連絡し二人でトンカツを食べに行く事にしました。
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ランチタイムなのですが、今日は奮発して分厚いメユーのトップページの中から選びました。大きなエビ2尾とジューシーなヒレカツの盛り合わせ、シジミの味噌汁までお代わりして大満足した私達でした。その後教室へ戻り彼女の提案でオールデイーの数々を熱唱。二人はもうすっかり乙女気分。
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興奮も治まった今宵、例によってパソコン開く私です。心の中から苦虫も弱虫も退散した心地よい時間を過ごしています。あの小さなイヤリングに掛けた星の願いのお蔭なのか、友情のお蔭なのか。とにかく明日からの秋に期待一杯の私です。

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マルガリーターは恋の味 [黄昏に向かって]

今夜の川越、伊佐沼で恒例の花火大会が行われています。本当は私花火は大好きです。でも見物したのは幼い時分だけです。場所は文京区の江戸川橋という所です。橋の下は神田川になります。この橋からは隅田川の花火が良く見えたものでした。今でも音羽通の高いビルからはよく見えるそうです。
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私と母は東京生まれの東京育ち、祖母は16歳の時に茨城から祖父と出てきました。その後は焼け出される迄九段下で暮らしていました。いわゆる江戸っ子の私たちはほかの人もそうであったように、隅田川の花火見物には格別の思いがありました。「ほら、今度は仕掛け花火だよ」と祖母が言えば「わあ~綺麗~」とはしゃぐ私。父のいない私が思いっきりはしゃげる日でもありました。
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私が7歳になった時、新宿区早稲田へ転居した私たちは、もう花火見物は行かなくなりました。隣町なのですが、母の仕事も忙しくなったからです。母は早稲田は学生町なので麻雀やさんがいいと思い開業しました。しかし女三人の所帯ではちょっと難しいと知り、その後下宿屋さんをはじめました。
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その下宿屋はたいそう繁盛し、そのおかげで私は何不自由なく暮らすことができました。
いつの間にか19歳になってた私、体育の時間に学んだ社交ダンスが大好きになり、その後はすこし年上のUちゃんにダンスホールへ連れて行って貰うようになりました。
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渋谷にあったハッピーバレーというダンスホールには一番多く行った気がします。渋谷へは早大前から都バスで行けました。いつもかなり賑わいました。時々楽団演奏で踊れました。私はジルバとタンゴになると踊りたくて、踊りたくて。そのホールで知り合ったN大学の3年生Wさんと夜が更けるまで踊りました。
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その頃我が家では祖母も亡くなっており母と二人暮らし。私は大学受験も諦め、外に出る口実のアルバイトと社交ダンスに明け暮れる日々でした。大勢の下宿生さんの食事は母が一人で作っていました。そんな生活が1年ほど過ぎ私は20歳に。心配した母の勧めでお見合いもし、専門学校にも通っていました。その頃にはWさんも卒業し関西に行ってしまいました。
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しかし運命とは不思議、偶然出会った8歳年上のTさんに私は一目ぼれ。結婚したいと母に言うと猛反対。しかし何が何でも一緒になりたいと、高円寺のアパートを訪ねました。遅くになって帰ってきたTさんから「家に帰りなさい」と冷たくあしらわれ泣きながら母の所に戻りました。
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1ヵ月ほどして、有楽町で待ち合わせた私達、西銀座デパート近くのそのスタンドバーはもう顔馴染みになっていました。物静かなバーテンダーさんがマルガリーターをそっと置きます。ソルトを振る加減がプロフェッショナルです。時間が過ぎ、遅れたて来たTさんから意外な言葉を聞きました。
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話はその少し前に遡ります。Tさんはご両親に私を逢わせようと私の自宅へ電話を下さったそうです。しかし母は私が風邪で寝ていて逢わせられないと言いました。仕方なくご両親は九州へ帰られ、その後Tさんは結婚、子宝にも恵まれたそうです。
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心の痛手が深いまま私は23歳の夏を迎えていました。その年の春には専門学校の3年間も無事卒業、いよいよ青春とお別れすることにした私です。そしてまた一年が過ぎた頃、やっぱり結婚しよう~と思いました。母と二人の平凡だけど安定した暮らし、不満がある訳ではありません。しかしやっぱり母親になりたかったのかも知れません。あれから半世紀、結局私が母になる日は有りませんでした。
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乗りそびれた列車 [青春の残像]

今日は線路のお話。もっと詳しく言えば線路のそばで男と女が別れたお話です。あれは本当に遠い日の事。東京から川越にお嫁に来たのは23歳の時、今の川越郊外の造成地に作られた団地になります。まるで絵にかいたような郊外の一戸建て。広い庭には紫陽花やあの双葉より芳しと詠われた大きな栴檀もありました。
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結婚式を挙げる少し前にこの街に来た我儘娘が主婦になったのです。しかし12歳という年の差もあり、主婦業は思っていたほどの楽しさもなく、退屈が高じて次第に東京が恋しくなりました。東京の家からは都電に乗ると銀座まではそうかからず行けました。その頃40代の母は私を連れて銀座によく行きました。和装の多い母は草履や帯揚げ足袋を買い、私にはコックドール(月ヶ瀬)でパフエーなどを食べさせてくれました。
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そんな訳で嫁いでは見たもの周囲は見知らぬ人ばかり、しかも経済感覚の薄い私は預かった月給も20日余りしかもたず、あとは毎日同じおかず(いんげんの炒め物や、ごまよごし)が食卓に載るしまつ。私はとうとう癇癪起こし実家に帰る事になりました。
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駅までも道は商店もあまりなく舗装もありません。消防署を曲がるとそこはもう駅のそば。小さなボストンひとつ下げて、上りホームに出た私。程なくして上りが来ました。その時私は見たのです。線路の柵の向こうで夫が何かを叫びながら手を振っている姿を。ちょっと可哀そう~と思った私。僅かなシーンなのですが、不思議に印象深い青春の一コマ。
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そしてその後は可もなく不可もない人生が20年以上過ぎ、私と母は東京を去り川越に移転していました。私はそこから都内まで仕事に通っていました。6月のある日、鶴瀬という駅で降りた私、その日開かれる講演会に行くためです。会合も終わり出口へ向かう人波にもまれていた私の携帯に、メールが入りました。「出口で待つ」ただそれだけの。急いで出口に行くとタクシーに乗り込むメールの主が目に入りました。私も急いで乗り込みます。一瞬周囲のざわめきが聞こえました。
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私ちょっと優越感を感じました。つまりそこに集まった大勢の羨望の的になった訳です。10分程して車を降り、駅前の居酒屋さんに入った私たち。その方と向き合って座ったの初めての私は、すこしドギマギして意味不明の話をしたように覚えています。小一時間の後、私たちは駅の階段を上りフォームに立ちます。私は下り電車、その方は上り。暫くして下りがきたのですが、私は乗りませんでした。それを無視する二人。やや暫くして今度は上りが来ました。「じゃ、乗るよ」と私に告げて、上り電車に乗った人。
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だだこれだけの事、ただそれだけの話。駅のぼんやりした灯りと、少しぶっきらぼうなでも答えを待つような、あのイントネーション。今となっては私の妄想かも知れません…。でも私、本当は後を追てあの列車に飛び乗りたかった!              
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