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サーキュラースカートが舞った [青春の残像]

春の宵、もう眠ってなんかいられません。春の宵は朧に霞んで、何がなんて言ったって…。そんな具合で今夜は青春時代のちょっと胸キュンの思い出を。それは社交ダンスに明けくれた青春でもありました。
理由(わけ)あって、専門学校の生徒になった私、お茶の水の某専門学校へ通っていました。その学校の斜め前にはアテネフランセがあり、地下鉄お茶の水駅ジローという私たちのたまり場だった喫茶がありました。そこからは数分の専門学校へ、私は3年間通いました。
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入学以前から社交ダンスに熱中していた私は、一度家に戻るや否や、今度は大隈講堂前のバス停で渋谷行のバスにのり渋谷駅近くののハッピーバレーというダンスホールへ急ぎます。17歳で祖母の死にあっていらい、私はその空虚な心を埋めるための手段に社交ダンスを選んだのです。夕方からのホールには様々な男女がいた筈ですが、私はとてもラッキーでした。年恰好も近い大学生のWさんと知り合いました。彼はN大学ダンス部のキャプテン。タンゴの名手でした。各大学のダンスパーティーへも一緒に行きました。
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その頃の私の家は早稲田鶴巻町。母は下宿屋を営んでいました。多い時には20人を超えた学生さんが下宿をしていたのですが、毎日台所で賄いの世話をする母を横目に見ながら、私はダンス三昧の日々を2年近くも過ごしました。しかし母は何も言わずに出してくれたのです。
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またまた昔話に。やっぱり歳をとると昔話になるのですね。でももう少し聴いてくださいね。その2年後結婚。33歳になる日までダンスとは疎遠になりました。しかしダンスで養たのは、踊りの技術だけではありません。相手の呼吸に自分の呼吸を合わせる技術、これは後の営業という仕事におおいに役立ちました。また沢山の演奏の音を始終生で聴きましたので、リズム感もこの時点で養われ、いまでも体に染みついていると思います。
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マンボ・チャチャチャ、大好きなタンゴなどのリズムを聴くとついつい体が動いていまにも踊り出したい気持ちに駆られます。当時のダンスホールは生の演奏でした。名前は忘れましたが、バンドによって踊り好かったり、悪かったり。ある夜の事、有名な楽団の演奏で気分上々のWさんと私。その夜の私は仕立て下ろしの黒のサーキュラースカートをはいていました。
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何曲も何曲も踊り続けた二人、20歳の若さは疲れを覚える事が無かったようです。膝上30センチの黒いサーキュラースカートが弧を描いて、踊る私をさらに引き立てて呉れたようです。青春のすこし危うい情熱をたぎらせて踊る私達。ふと周囲の異様な光景に気が付いた私です。
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まるでシネマのワンシーンのようにフロアーは私だち二人きり。バンドは私達を促すようにさらに軽快な音楽を奏でます。周囲の壁とカウンターを背にした沢山の男女が一組、また一組とフロアーに戻ります。もう夢心地の春の宵でした。
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ああ今宵、その頃の私は何処にいるのでしょう~。膝の上には三毛猫がゴロゴロと喉をならし、消費電力にロスが多い温風ヒーターがけたたましい音で風を送っています。人生は戻らないのは分っていても、あの春のざわめきをもう一度呼び起こしてみたいのは私だけでしょうか。
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コメント 2

はなだ雲

膝上30センチの黒いサーキュラースカートが
ダンスフロアに弧を描いて舞う・・情景が
アリアリと、思い浮かぶようでした^^

抒情的で、言葉選びのセンス抜群!ステキな文章ですね♪

ご実家が早稲田で下宿屋さんを営まれていたなんて
とても親近感がわきました
ご迷惑かもしれないけれど笑、また時々立ち寄らせていただきます^^
by はなだ雲 (2015-04-05 08:48) 

marine

はなだ雲さま コメントありがとうございました。早稲田での下宿業は母が30年程営んでいました。若しかして…ですか? これからもどうぞ宜しくお願い致します。
by marine (2015-04-09 00:47) 

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