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時間について考えてみると…。 [黄昏に向かって]

昭和18年8月生まれの私、誕生から今日までの時間は、単純計算で365×73-87日=(今日現在)26558日で38,243,520分になるようです。長いのか短いのかなんだか理解しにくい数字になりました。しかしこれからどんなに頑張ってもこの数字が二倍になることはありませんし、1.5倍もないのです。つまり<人生には絶対に限りがある>、この現実がとうとう射程距離に入って来ました。
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最近、TVも新聞もいろいろな場面で、人生最後の日への心構えや、準備について報道されています。ブームと言ってしまえばそれまでですが、ちょっと嫌な予感が。今の日本では私のような高齢者が増えてゆくことへの恐れが若い世代にはあるような気がします。
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それは社会保障の問題でもあり介護の問題でもありますが、厄介者とは言わないまでも、ちょっと迷惑な存在として、老人たちはこのまま生きてゆくのでしょうか?少なくとも私、たいして親孝行らしきものはしなかったけれど、親を尊敬し愛し微力でした子供の義務(社会に対しての)は果たして来ました。
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しかし現代の老人たちは、子供家族も大変だから…といい、若者に遠慮しています。たしかにそうなのかもしれません。しか経済的、物質的なフォローはできなくても愛情はタダです。強制されずとも親であればできる限りの愛情を注いでもいいのでは…。そう思う今日この頃。
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それにしても社会保障も、愛情も受けられない私のような老人、もっとも自分ではまだ老人とは思っていませんが、でも今後はちょっと背筋の寒い日々の中であと一秒、あと一分…生きるのでしょうか? 5月最後の土曜日、眠れぬ夜の独り言でした。(5月の庭は緑がきれいです)
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『歌声』ってミラクル? [黄昏に向かって]

2016.05月19日は不思議な一日でした。何が不思議かといいますと。それは私の『声』。実は昨日のレッスンでの録音を聞いていた時の事です。今までにない音色を聞いたのです。さほど大きくない声なのに、何処か懐かしくて、情のこもった声に聞こえます。
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でもこの声、間違いなく私の声なのです。そこで、ほかの曲、特に私のオリジナル曲を歌ってみました。全く力みのない、軽いのに、抑揚があって…。自画自賛ですが、嬉しくて暫し感慨に耽った私。
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実は声ってミラクルなのです。まだまだ自分の知らない自分の本当の声に出会うこともあるのだとか。かつてもこれに似た経験しましたけれど、今回はきっと本物のような気がします。人生の最後後最後になってから本当の自分の声を知るなんて。声もミラクルだけど、人生もミラクルね。
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今年の春は体のあちこちに不調が起こり、やっぱり年なのかと少し悲観的観測を。でも寿命の云々より中身の充実具合が私にとっては重要です。その点、今はとても充実していると思えます。身の丈以上とも思います。明後日は亡母の命日。今日も母の遺影は微笑んで呉れました。
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脱皮を迎えて。 [黄昏に向かって]

そう言えば5月21日は母の祥月命日です。平成16年5月21日、あれからもう丸12年、という事は今年は13回忌と言事に? 吃驚しました。親の祥月命日も忘れてしまう程、あの日が遠くになっていたのです。言い替えれば、それほど長い長い歳月でした。

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昨日の事です。家から数分の場所にあるデパ地下でばったり会ったKさん、私の姿に驚かれた様子です。それもその筈、一時は死亡説さえ流れたそうですが、真っ黒に焼けて、目ばかりギョロギョロになった3年前の私とはかなり違った姿に、Kさんはしばし戸惑った様子でした。
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歳月はいい意味でも悪い意味でも人間を変えます。ましてや急転直下に変わった運命に翻弄された私は、生きる屍状態でした。しかしその後の事は今でも信じられない展開が。そしていま私は、以前の数倍も涙もろくなりました。『人の情け』が私を生まれ変わらせて呉れたのだと思います。
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73歳を目前にして思うことは、よくここまで来られた! その一言に尽きます。しかし一人で来たわけではありません。手を引いてくれた人、陰からそっと応援してくれた人、食べ物や生活用品を届け呉れた人、生きろ!ここへ戻ってこい!とあのステージへ呼び戻して呉れた仲間達、一人一人の顔が浮かびます。
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沢山の人情に触れました。今の年齢は、私が18歳の頃の祖母の年齢と同じ、その年の夏祖母はこの世を去りました。あまりにも遠い日に、自分の人生なのにあの8月3日を思い出すことは稀になりました。ですが、母も祖母も今でも私を愛し続けている事が、日々の生活のなかで、実感させられる事があります。
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けれど、亡夫はどうだったのでしょうか?今でも懐疑的な私。死は人を隔てるけれど、愛はその死さえ超えても続くと思っていた私ですが、4年目を迎える亡夫の愛は今だ未確認です。しかし最近、こうして今幸せに生きていられる以上、もう過去の恨み云々は今日限りにしようと、思うようになりました。
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数年間捨てたも同然だった亡夫の写真をまた身近に戻しました。30年間の歳月を無にしたくなかったからです。多くの事を学びました。他人だった夫と添うために大切な母に寂しい思いをさせました。母の大切な家を夫は奪いました。しかしすべてが終わった今、私はやっと最初で最後の『脱皮』が出来たように思います。亡母の13回忌を前にして今、とても清々しい思いです。


タグ:情け

私の中の昭和歌謡 [歌人生]

ずいぶん幼い日の事だと思うのですが、ラジオから流れるあの曲が大好きでした。その曲、多分『港が見える丘』というタイトルだった気がします。あなたと二人で来た丘は港の見える丘、色あせた桜…こんな歌詞だった気がしますが。今でも歌が耳に残っています。

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今日届いた自作の写真集『三角公園の夕日』

多分小学生にもなっていない時代ですから、半世紀以上も前の話になります。その頃我が家は母子家庭、昼夜働く母に代わって祖母が私の面倒を見てくれました。まさか祖母がこんな歌を歌うわけはないので、もしかあしたら大正生まれのモダンな父が歌ったのでしょうか? この歌が流行ったのは昭和22年だそうです。
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そうすると私は4歳、父が亡くなったのは昭和23年ですから、父が歌うその歌を4歳の私が聞いていたのかもしれません。お腹のホクロと足の形が父譲りで当時は護国寺にある音羽幼稚園の園児、遠い遠い昔のお話です。

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人間の脳とは本当に不思議なもの。今、歌謡教室を主宰し、そこの講師もしていますが、心の中にあの日のあの『港が見える丘』がいまもあります。ちなみに父は長崎生まれ。実家は港の見える場所です。父の記憶は殆どないのに、父を忍ときは不思議にこの歌を口ずさみます。