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マルガリーターは恋の味 [黄昏に向かって]

今夜の川越、伊佐沼で恒例の花火大会が行われています。本当は私花火は大好きです。でも見物したのは幼い時分だけです。場所は文京区の江戸川橋という所です。橋の下は神田川になります。この橋からは隅田川の花火が良く見えたものでした。今でも音羽通の高いビルからはよく見えるそうです。
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私と母は東京生まれの東京育ち、祖母は16歳の時に茨城から祖父と出てきました。その後は焼け出される迄九段下で暮らしていました。いわゆる江戸っ子の私たちはほかの人もそうであったように、隅田川の花火見物には格別の思いがありました。「ほら、今度は仕掛け花火だよ」と祖母が言えば「わあ~綺麗~」とはしゃぐ私。父のいない私が思いっきりはしゃげる日でもありました。
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私が7歳になった時、新宿区早稲田へ転居した私たちは、もう花火見物は行かなくなりました。隣町なのですが、母の仕事も忙しくなったからです。母は早稲田は学生町なので麻雀やさんがいいと思い開業しました。しかし女三人の所帯ではちょっと難しいと知り、その後下宿屋さんをはじめました。
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その下宿屋はたいそう繁盛し、そのおかげで私は何不自由なく暮らすことができました。
いつの間にか19歳になってた私、体育の時間に学んだ社交ダンスが大好きになり、その後はすこし年上のUちゃんにダンスホールへ連れて行って貰うようになりました。
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渋谷にあったハッピーバレーというダンスホールには一番多く行った気がします。渋谷へは早大前から都バスで行けました。いつもかなり賑わいました。時々楽団演奏で踊れました。私はジルバとタンゴになると踊りたくて、踊りたくて。そのホールで知り合ったN大学の3年生Wさんと夜が更けるまで踊りました。
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その頃我が家では祖母も亡くなっており母と二人暮らし。私は大学受験も諦め、外に出る口実のアルバイトと社交ダンスに明け暮れる日々でした。大勢の下宿生さんの食事は母が一人で作っていました。そんな生活が1年ほど過ぎ私は20歳に。心配した母の勧めでお見合いもし、専門学校にも通っていました。その頃にはWさんも卒業し関西に行ってしまいました。
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しかし運命とは不思議、偶然出会った8歳年上のTさんに私は一目ぼれ。結婚したいと母に言うと猛反対。しかし何が何でも一緒になりたいと、高円寺のアパートを訪ねました。遅くになって帰ってきたTさんから「家に帰りなさい」と冷たくあしらわれ泣きながら母の所に戻りました。
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1ヵ月ほどして、有楽町で待ち合わせた私達、西銀座デパート近くのそのスタンドバーはもう顔馴染みになっていました。物静かなバーテンダーさんがマルガリーターをそっと置きます。ソルトを振る加減がプロフェッショナルです。時間が過ぎ、遅れたて来たTさんから意外な言葉を聞きました。
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話はその少し前に遡ります。Tさんはご両親に私を逢わせようと私の自宅へ電話を下さったそうです。しかし母は私が風邪で寝ていて逢わせられないと言いました。仕方なくご両親は九州へ帰られ、その後Tさんは結婚、子宝にも恵まれたそうです。
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心の痛手が深いまま私は23歳の夏を迎えていました。その年の春には専門学校の3年間も無事卒業、いよいよ青春とお別れすることにした私です。そしてまた一年が過ぎた頃、やっぱり結婚しよう~と思いました。母と二人の平凡だけど安定した暮らし、不満がある訳ではありません。しかしやっぱり母親になりたかったのかも知れません。あれから半世紀、結局私が母になる日は有りませんでした。
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乗りそびれた列車 [青春の残像]

今日は線路のお話。もっと詳しく言えば線路のそばで男と女が別れたお話です。あれは本当に遠い日の事。東京から川越にお嫁に来たのは23歳の時、今の川越郊外の造成地に作られた団地になります。まるで絵にかいたような郊外の一戸建て。広い庭には紫陽花やあの双葉より芳しと詠われた大きな栴檀もありました。
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結婚式を挙げる少し前にこの街に来た我儘娘が主婦になったのです。しかし12歳という年の差もあり、主婦業は思っていたほどの楽しさもなく、退屈が高じて次第に東京が恋しくなりました。東京の家からは都電に乗ると銀座まではそうかからず行けました。その頃40代の母は私を連れて銀座によく行きました。和装の多い母は草履や帯揚げ足袋を買い、私にはコックドール(月ヶ瀬)でパフエーなどを食べさせてくれました。
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そんな訳で嫁いでは見たもの周囲は見知らぬ人ばかり、しかも経済感覚の薄い私は預かった月給も20日余りしかもたず、あとは毎日同じおかず(いんげんの炒め物や、ごまよごし)が食卓に載るしまつ。私はとうとう癇癪起こし実家に帰る事になりました。
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駅までも道は商店もあまりなく舗装もありません。消防署を曲がるとそこはもう駅のそば。小さなボストンひとつ下げて、上りホームに出た私。程なくして上りが来ました。その時私は見たのです。線路の柵の向こうで夫が何かを叫びながら手を振っている姿を。ちょっと可哀そう~と思った私。僅かなシーンなのですが、不思議に印象深い青春の一コマ。
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そしてその後は可もなく不可もない人生が20年以上過ぎ、私と母は東京を去り川越に移転していました。私はそこから都内まで仕事に通っていました。6月のある日、鶴瀬という駅で降りた私、その日開かれる講演会に行くためです。会合も終わり出口へ向かう人波にもまれていた私の携帯に、メールが入りました。「出口で待つ」ただそれだけの。急いで出口に行くとタクシーに乗り込むメールの主が目に入りました。私も急いで乗り込みます。一瞬周囲のざわめきが聞こえました。
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私ちょっと優越感を感じました。つまりそこに集まった大勢の羨望の的になった訳です。10分程して車を降り、駅前の居酒屋さんに入った私たち。その方と向き合って座ったの初めての私は、すこしドギマギして意味不明の話をしたように覚えています。小一時間の後、私たちは駅の階段を上りフォームに立ちます。私は下り電車、その方は上り。暫くして下りがきたのですが、私は乗りませんでした。それを無視する二人。やや暫くして今度は上りが来ました。「じゃ、乗るよ」と私に告げて、上り電車に乗った人。
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だだこれだけの事、ただそれだけの話。駅のぼんやりした灯りと、少しぶっきらぼうなでも答えを待つような、あのイントネーション。今となっては私の妄想かも知れません…。でも私、本当は後を追てあの列車に飛び乗りたかった!              
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彷徨い、そして彷徨う。 [夢半ば]

秋の虫たちが鳴きだしました。あんなに暑くあんなに大暴れしたこの夏のお天気。なのに秋は必ずやってくるのですね。(一枚目に写真は2012年8月9日に見つけた羽化直後のセミ。この年8月25日は夫の通夜になりました。)
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あと五つ寝ると誕生日を迎える私、いまかなり動揺しています。周囲からは逞しく生きている、そう思われているのですが、自分ではそうは思いません。(2枚目は翌年2013年6月30日の公園です)
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真実を言えば、「本当に私、生きていていいのかしら?」こんな思いに始終苛まれます。自信過剰と言われるかも知れませんが、自分の非力さに愕然と。もっと力強く生きられると過信していました。(3枚目、これも翌年2013年7月11日の公園、青空をバックに木槿の花。)
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それが今になって行末が恐ろしいのです。いろいろ失敗もあった人生だったけれどいつでも強く立ち直れた筈なのに…。自問自答の毎日がもう一月続きます。(4枚目の写真は人生最大の激動の嵐が吹き荒れた2013.09.28日、夏の終わりを惜しむ蝶たちと、真剣に向き合っていたころです)
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身近な目標も、長期の目標もあるのに、今回だけは何故か叶う気がしません。努力しようという気持ちがあっても、何故か空気が読めなくなったり、行動に躊躇する自分がいます。情けない!恥ずかしい!もう駄目なのかも知れない!(5枚目は2013.9月.22日 この写真は私が好きな写真のベスト10に入ります。お滑り台は竪穴住居風です)
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全て経済力の無さにあるのかも知れません。思ったことの殆どを諦める事もしばしばで、世間にも不義理をしています。人の情けが恋しい自分に戸惑います。自分はこんなに非力だったのか? こんなに役に立たない人間だったのかと。(6枚目になります。この写真は2014.10.08に撮ったものです。カマキリにみた生命力。一人暮しの苦悩がますます高まった頃、孤立に苛まれめ、生きた心地のない日々、ただ救いは公園の生き物たちでした)
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人生を甘く見ていた?いいえ、いつでも努力を惜しまず真っすぐに生きてきたつもりでした。ただ母親には随分迷惑かけました。しかし何があっても人生を諦めずに生きてこられた筈でした。(7枚目、これも同年2014.10.02秋の訪れに乱れ作咲くキバナコスモス、蝶たちも忙しく飛び回っていました。私も初めて『ひもじい』という感覚を知った頃です)
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あれはあの幸せは幻だったのかしら? 勿論いまだって幸せには違いないのです。しかしどうしても『心がむずがる』のです。そして出口のない迷路を彷徨し始めました。(8枚目、この写真2013.6.24撮ったものです。黄色く光るもの、正体不明。蜘蛛かとも思うのですが、かなりの光です。また左右縦横へ移動します)
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昔ある方に言われたことがあります。「考えすぎるから、また迷路に入ってしまったね!」と。そう指摘されたときはショクでした。しかしそのお蔭で、その後は穏やかに生きられるようになっていた筈でした。(9枚目の写真は2014.03.16撮影、生きる事への絶望も頂点になったその頃、偶然撮れたこの一枚、幸せへの予感にすこしお洒落させて部屋に飾ってみました。)
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さて明後日は夫が亡くなって5年になります。市営斎場の順番待ちで、葬儀は私のお誕生日と同じ25日になりましたが。病気と分かって1年、入院して2日目。最後の最後まで私に気を使い「ごめんね、ごめんね」と謝りながら夫は逝きました。何かと戦ているような様子もみられとても辛い別れでした。(10枚目になります。2015.0316 公園のハーブです。この年、私の運命が大きく変わります。一枚一枚薄皮を剥ぐように悲しみが遠のいて行きました。)
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そして2017年の夏がまたやって来ました。平穏な日々です。辛いことは一つもありません。ようやく遠い灯りも見え始めて来たところでした。なのに、どうしてまた迷路を彷徨う私なのでしょうか。自分で自分が歯がゆいです。しかし胸の内にあるずしんと重い『将来への不安』言い換えれば『老後への不安』は否めません。解決などないのですものね。今度もまた時の流れに委ねるしかないのでしょうね。私もそれが一番だと思います。                                  最後までお読み頂きありがとうございました。
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人の心に伝わる歌を。 [歌人生]

私の職業は歌の先生です。といっても声楽家ではありません。アマチュアの歌好きが高じ寝食を忘れる程の勉強をして今の資格を頂いたわけです。それでも、一番最初に近所にある歌の先生宅の門を叩いてからもう40年近い歳月が流れました。
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その後は不動産の仕事に夢中になった時期もあり、中年になってから歌謡教室やカルチャーセンター等数か所を経て、最後に巡り合ったのが、現在ご指導いただいている恩師です。その後2009年にはCDデビュー、TVの歌番組出演やプロモーションビデオでのPR活動、歌謡祭やカラオケ大会のゲスト等、2012年まで夢中で過ごしました。
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初めての世界では目の眩む思いや驚きの連続、しかし正直やっぱり毎日が楽しくてしょうがない私でした。この浮世離れした生活に、夫の体に病魔が虫食った事も気が付かず、気が付けばお医者様からは最後通告を受ける事に。「あと数日の命です」と言い渡されました。お医者さんの言葉通り、たった二日の入院であっけない最後でした
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その後の生活は信じられない事の連続、しかし通夜の1か月後、私は母校のコンベンショんの舞台を踏み、同年12月には川越市民会館で某メジャー歌手のジョイントコンサートに賛助出演させて頂き、第一部のステージの緞帳上がりをさせて頂きました。この経験から歌が自分をきっと導いて呉れる、そんな確信を得る事になりました。しかしそう簡単な世界ではありませんでした。そう感じていたものの、数年間何んの兆しのないまま歌手生活は遅々として進みませんでした。焦るばかりの自分が惨めにも思えました。
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そして2014年、夢かと思えるような『歌謡教室開設』、この思いがけない幸運が私に起こったのです。奇跡だと今でも思っています。あれからもう丸三年が過ぎこの秋からは4年目に入ります。歌手になって満8年目の秋になります。
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さて話は変わりますが、歌手の歌は個性が大切です。しかし講師は自分の個性よりも生徒さんの個性を見つける事が大切です。さらに生徒さんの個性にあった指導も必要となり、座学と実技の両面から日々まだ勉強しています。
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最近、私は自分の声の出し方もを色々試しています。低い声、高い声。柔らかい声、硬い声。いろいろ試してゆくうちに声の不思議に出会いました。レッスンの曲は歌謡曲、演歌、ポピュラーミュージック、昭和歌謡等々になりまうす。ジャンヌによって声を変えて歌う事を楽しんでいますし生徒さんいも教室での勉強からその変化が起こると、大変喜んでくださいます。高い声が出しやすくなった!そんな評価も頂いています。
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声は年齢によっても変化するそうですし、病気や体の変化によっても声の色が変わる気がします。しかしいずれにしても、歌う以上は『人の心に伝わるような歌い方をする』これが最も大切です。自己満足型の歌も健康の為には良いのですが、友達同士や人前で歌う場合、聴く人にとって聞き心地のよい歌声と歌の内容が伝わる歌い方が一番大切だと思います。
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それ故、私の講座では一曲の歌を丁寧に観察して丁寧に大切に歌うことが上達への最短距離だと指導しています。私の歌人生は、趣味の歌声から指導する歌声へと一筋の道をここまできましたが、此れからも、高齢になっても何時までも楽しく歌える、そんな歌唱法の指導を続けてゆきたいと思っています。
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秋色気分。 [黄昏に向かって]

楊柳の涼しそうな夏掛けを買ったのが先週の水曜日、なのに今日の私は冷たい雨もあってかすっかり秋色気分。
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雨が気になって何時もより早い午後4時に教室を出た私は急ぎデパ地下へ。一番好きな野菜売り場に。ここは見るだけでも楽しい場所です。最初目についたのは訳あり里芋。大好きなので買いたかったのですが、小さな泥付きではどうやって調理していいのやら。残念ですが断念。
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今日の買い物は、秋茄子、小松菜、赤ピーマンにもやし。肉売り場で、鶏肉の塩こうじ漬け 生姜焼き用の豚のもも肉。トマトの代わりにトマトジュース。ヘルシーな根昆布入りのとろろ(1袋)などなど。珍しくお菓子類はありません。
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今夜の夕食は蒸し焼き。塩麹鶏肉を適宜、もやし・ピーマン、冷凍しておいた生シイタケ等を適宜、秋茄子(2個)。材料が揃ったら大きなフライパンにクッキングシートを敷き、これらを並べて塩コショウ、砂糖(微量)をこれも適宜に。フライパンと同じ直径の蓋をして焼く(蓋はほんの少しずらしガスの火力は弱火(最初は少し強火)。7~8分でジュージーな鳥と秋野菜の麹味(私が名前つけました)の出来上がり。好みでお醤油、レモン汁などOK。
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片付けはクッキングシートを使ったので、鍋もお皿も紙でぬぐう程度。飲みものにはトマトジュース。食後のおやつはとろろこぶ。緑茶を飲みながらつまむ。TV見ながらゆっくり食べました。
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実はこの4日間の休日でつくづく思った事があります。 やはり健康の為に食事のメニューが大切。現在の体調の悪さや意味の解らない胸や腰の痛さ、満腹に食べているのにグウグウなるお腹。この不健康な理由をWEBで調べてみると、覚えきれないくらいの病名が出てきました。
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やっぱり自分の健康は自分が管理する、その大原則を私は忘れていました。今更言うのは愚かなのですが、目覚めたのです。こんな当たり前の事ですが、守り切ることは至難の業。しかし今からしなければこれから迎える黄昏年齢を超すことはできません。今からでは遅いかも知れません。しかし出来る事はなんでも試みないと、母が越えた89歳の坂は登れませんので。
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そしてもう一つ、笑顔の絶えない暮らし。長生きする為には健康な体を維持すると伴に、心の健康も必須だそうです。確かに昔から『笑う門のは福来り』といいますね。でもでも、やっぱり辛いことも悲しい事も、寂しい事もあります。
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そこでこんなアイデアを。今の講師の他に本来の歌手としての活動も再開する。ただし、身の丈にあった範囲ですが。私の夢は小さなライブハウスで定期的に歌う事。歌い手聞き手の息づかいが聞こえる小さなクラブ。そんなレトロな場所で歌うのが夢です。
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災い転じて、まだまだ続く一筋の道。生きる原動力はやっぱり夢を持つことかも知れませんね。叶わなくとも目標に向かって日々が活き活き輝けばいいと思います。でもやっぱり実現させたい!!
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(続)猫の美学 [黄昏に向かって]

旧盆の行事をかねて11日より三連休プラス一日。教室開講以来初めてでした。しかしこの4日の休養は心身ともにすっかり健康に戻った感じがします。そこですこし欲張って、今回も猫の美学の続編をUPさせて頂きました。
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今日の一枚目は2色ニャンが仲良く並んでいます。恋人? いいえこの仔達兄弟(兄妹)です。黒ちゃんの方は私と顔見知り。家猫福三ちゃんと同じ飼い主さんの家にいました。二人は同じ親から生まれています。とても心の優しい猫ちゃんです。二匹の尻尾で会話しているのかもしれません。「元気だった?」「気を付けてお帰り」そんな感じかな。白い方は多分女の子。
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二枚目のこの写真。公園生まれのふうちゃん。当時で推定4歳ぐらい。小ぶりですが度胸もありとても頭の良い仔です。2014.4、この頃の公園は香しい花の香でいっぱい。川越の市の花でもある山吹、満開の紅梅、咲き始めのだいこんの花などに満たされています。ふうちゃんならずとも私もこんな写真撮られたかった。
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三枚目、これもふうちゃん、少しコケティッシュなふうちゃん、カメラに向かってウインクです。
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四枚目もふうちゃん。夜の公園はすこし寂しい感じがします。この公園で生まれた彼女にはここを守る、そんな気持ちもあったように思われます。目の配り方がとても鋭いふうちゃん。
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五枚目、我が家の三毛猫福三ちゃん、前の飼い主さんが入院して私の家猫に。しかしお外が大好きな2歳半のこの仔、始終飛び出しては公園を走りまわります。樹の上には始終乗って遊んでいました。お茶目な気性そのままに。私はその魅力に一日中カメラをもって追いかけていました。
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六枚目、我が家に来てから1年がたった頃の福三ちゃん、まるで樹下の天使を気取っているようです。私の喜ぶさまを充分計算して彼女はそこにいます。
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七枚目、最後の写真です。川越駅近くの家に引越した私と福三ちゃん、この日、福三の布団を買いました。大喜びの彼女。大はしゃぎ。例によって涙をこぼして喜ぶ私。この半年後彼女は天に召されて逝きました。あの公園に置いてこなかった自分を随分責めました。しかし一緒に暮らした二年弱が今の私の支えになっています。
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お読み頂きありがとうございました。






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猫の美学 [黄昏に向かって]

若いころの私、歩き方から座り方、電車での立ち方つり革の持ち方。それ相応の美学があって…。しかし今となってはもうあるがままで暮らす毎日です。(写真は公園にいた哀愁の猫。多分地域猫のふうちゃん)
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しかしたくさん撮り溜めた猫達の写真を見るとかなりそれぞれのポーズには拘りがあるように見えるのですが。今日はそんな写真のなかから飛び切り魅力的が写真をまとめてUPしてみました。是非ごらんになって下さいませ。(写真は木の上で歯を磨く福三ちゃん、叱られるのを隠すためです)
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猫達が大好きな匂いなのでしょうか、アジサイの新芽には多くの猫が同じポーズをします。しかし個性が立つのはこの仔、ふうちゃん。
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我が家の駐車場が大好きなこの仔チビ(雄)。そのシルバー色の毛並みに魅了された私。しかし家猫になることを拒まれました。
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もう一枚ふうちゃん、私がカメラ向けるといつもなにがしかのポーズをする彼女。私が作った小さな写真集で2度もモデルになりました。
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続いて2歳半の福三ちゃん、引っ越し前の家でした。(とてお転婆でお茶目でした)
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公園で出会った見知らぬ2匹。撮られることを知ってのこのポーズ。しっかりカメラ目線でしょ。
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タグ:地域猫
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蜃気楼の町 [黄昏に向かって]

台風一過の今日、急用で教室を休み外出することに。その時点での気温は勿論30度越えでした。川越駅から東上線に乗り込んだ私、流石に乗客は少な目。川越から2駅目の霞が関で降りた私、見慣れた駅の構内なのになんだか静かすぎると思えました。
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ふと大きな時刻表のある白い壁を目がゆきました。四角の枠の中に【通路パネル広告】と書いてあります。構内には同じ看板が数枚あり、現在、広告に興味のある私は状差しのパンフレットを一枚取り、南口へ出ました。かつての我が家はここから10分程でつきます。
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時刻は12時30分、タクシー乗り場には人も車も見当たりません。仕方なく歩き出した私、目的のS信金へは歩いて7.8分です。日傘を広げて歩いていると郵便屋さんが目につきました。「そこ通り抜けできますか~」「いや大通りいった方が早いですよ~」
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笑顔の郵便屋さんの姿がお芝居の役者さんのように見えました。交差点の牛角さんの辺りを過ぎた頃、気持ち良い風が吹いてきました。道を右折すれば友人の家に、路地を左折すれば故郷へ向かいます。
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でも今日の私は信金さんへ行くために来たのですからこのまま真っすぐ歩きます。歩道のないこの道、白線の幅が狭く、時々大型車が通る時は怖いです。日傘をゆらゆら揺らせながらゆっくりゆっくり歩きました。薄い素材の夏服が風通しが良すぎるのか、何だか体が冷えてくる感じがしました。なのに目に入るような汗は額からしたたります。
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信金さんの入り口は2か所、正面から入り、所持した封筒を示して初対面の担当者と面談。10分足らずで要件も済、私はまた大通りを駅に向かって歩きます。交差点近くで電話を出しててみましたが。しかし考え直して今日はやめる事に。右手にあるドラッグストアは亡夫と始終車を止めた場所、マリという犬とトラ吉という猫のペットフードを買うためでした。
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10mほどのアーケードを抜けると駅に着きました。しかし私、この街がかつての我が町と何だか違う気がしました。ぎらぎらとした夏の太陽が眩しいはずなのに、風に舞うような薄いベールが町全体を包んでいるような不思議な感覚がします。一瞬、時が止まった気がしたのです。
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使い慣れたATMの前にゴルフ支度の男性が2人。珍しそうに私を見つめています。馴染みの餃子屋さんの店内にも人影まばら。私が母と夫とペット達と暮らしたあの町があの匂いが全くしません。
たった2年なのにここはまるで別の町、それとも悪戯な真夏の太陽が作った蜃気楼の町?
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川越に戻って東口のテバ地下で食料品を買った私、我が家までは歩いて5分、商店街の人波はいつもより幾分少ないけれど、思い思いの夏衣装で楽しそうに歩く人たち。私も顔見知りの店員さんと声かけあって、いつもの角を曲がりました。
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路地の向から宅配やさん、荷物がいっぱい手押車が揺れています。公園から聞こえる子供たちの歓声、こんな日常が昼下がりのこの町には似合うのかもしれません。
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虹に願いを [歌人生]

ここ1ヶ月ほど体調不良だった私。体が揺れるような気がしたり、耳が痛かったり、お腹が張ったりと。勿論声にも悪影響がでてかなり落ち込んでいました。その理由の一つは今月でまた一つ年が増えます。
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この先の心配より、一人で病む怖さです。しかし誰でもいつかはそこへ行き着くのですから、私ばかりが辛いわけではないですね。「だから好きな事をして暮すわ」と知人たちは言います。
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確かに、私も一番好きな事をして暮しています。なんの不自由もなく自由に暮らしています。しかし体が悪くなっての一人暮らしはやっぱり辛い日も。痛いとか苦しいとか独り言ばかり。
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所がそんな心を一瞬にして明るくしてくれる事が起こりまっした。夕立の後の川越の町を急ぎ足で家に向かった私。町は雨上がりで幾分凌ぎやすい気温になっていました。その時「虹が」という声が。階段を駆け下り道路にでると、東南の空に大きな虹がかかっていました。とてもくっきりと綺麗な虹です。
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私は手を合わせて願いました。「教室の繁栄と……を」何を願ったのか、それは秘密。そう言えば子供時分は随分虹を見た気がしますが、最近は殆どみませんでした。今日の虹との出会いはそれでなくても感激なのに、見た場所がそれもまた私にとって特別な場所でした。これは運命です。
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暫くぶりの虹との出会いは明日への希望が大きく膨らみました。そうなのです。もうここが私の生きる場所なのです。なんという縁なのでしょうか。川越へは来るべくして来る、これは私の運命だったのです。誰かのために生きる事は出来ないけれど、誰かに役立つ人になりたい!
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それには今日からこだわりは捨てます。流れのままに。あの空の虹のように人を幸せにする人間になりたい!そのためにはもっともっと歌の修業をしたい、穏やかに暮らすことを心がけよう。
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明日は久しぶりに電車に乗ります。たった2駅ですが。虹のオーラーがあまりにも強くて眠るのがもったいないような夜です。
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おばあちゃんの『ぬかみそ』 [黄昏に向かって]

今年も8月が来ました。夏に生まれた私ですので、真夏は一番好きな季節です。しかし去年の夏以降は暑さが苦手になりました。そして酷暑が続く今年の夏、体のみならず心まで萎える程辛い日々を送ることに。
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今日8月3日は祖母の命日になります。3歳で父を亡くした私、幼い時分の思い出のほとんどが、祖母とのものです。記憶する限り祖母に叱られたことは全くありません。背丈は145センチぐらいの祖母でしたが、とても力持ちでした。
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料理上手の祖母でしたが、田舎仕込みのぬかみそは絶品だと思います。早稲田の家の台所、板の間の下には大きな樽があり、四季を問わず『ぬかみそ』が食卓に並びました。
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祖母を送った8月3日は今日よりもっともっと暑く、私は悲しみの感情を抑えられず、泣きわめきながら祖母にしがみついていました。私が17歳の夏でした。
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幼い日には祖母に手を引かれながら二人でお縁日のある深川、雷門、巣鴨へ都電に乗ってゆきました。また6歳ぐらいまでは祖母の故郷、茨城へ夏には必ず行きました。トンネルに入ると必ず窓を閉めるあの列車に乗ってゆきました。
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大宝という駅から筑波山をめがけて歩きます。小貝川に近い農家が祖母の妹が嫁いだ家でした。家の前に広がる水田や煙草畑、トウモロコシもトマトももぎたてです。おばあちゃん~、本当にもう一度逢いたい! 


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