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9月の憂い [歌人生]

夏から秋への狭間にある9月、まだまだ暑い日も多いし雨の心配もあるけれど、私の一番好きなこの季節です。しかしここ数年、いいえ夫に逝かれてしまってからは憂いの多い9月になってしまいました。
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他の方から見れば些細な事なのですが、案外これが私の心には重くのしかかります。私の歌の道を確かなものにしてくれた母校は浦和にあります。その学校の年に一度の大イベントが毎年9月下旬に行われます。
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場所は浦和にある埼玉会館。あそこの小ホール催されるライブコンベンションは私の憧れのステージでした。入学の年は亡母が着た豪華な訪問着で出場。親戚や友人まで招待して晴れの舞台を踏みました。
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あれから十数年の歳月が流れました。最初は健康の為に、そんな動機で入学しましたが学ぶうちにその面白さ難しさを知り、すっかり歌の虜になっていた私。幸い亡夫の協力もありCDデビューの後に歌手デビューもし、テレビ歌番組への出演なども経験させて頂きました。
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しかし2012年、夫の急逝により歌手生活を続ける事が不可能な状態になりました。それでも学校の行事であるライブコンベンションへは出来る限り参加していました。しかしここ2年程は体調不良の他、当日の衣装などに掛る費用の捻出が難しい状態になってしまいました。
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勿論着飾る必要があるか否かは個人の考えです。でも女性はやっぱりお洒落はしたいです。だって晴れの舞台ですから。しかしもっと考えれば、私達講師は後輩の見本に成るような歌を披露する立場ですから、衣装云々ではない!かも知れません。しかし、しかしやっぱり女ですから…。
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そんな訳でこの秋、あんなに待ち望んだ初秋が来たというのに今年もまた9月の憂いは続きます。





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その心は深い海のような [夢半ば]

月に2回ある連休、今回は大事な2日間が仕事で終わってしいました。しかしとても大きな収穫もありました。そして気が付けば前にも増してやる気が充分な自分がいました。
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実は数か月前から喉と胸の痛み。「ひょっとして」「もしかして」等々の不安が募っていました。そんな中での休日は大事なのですが、生憎覚えなければならない曲が多すぎて休んでいられない状態に。仕事があることは嬉しい事なので休日返上で頑張ることにしました。
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そう言えば最近は大汗をかく程の自主トレをあまりしていませんでした。5年程以前には色々の出番もあり、その為の体力づくりや歌のトレーニングも常に心掛けていました。しかし今はすこし事情が違うのです。昼間のレッスンだけで、それ以外は出来るだけ休養に当てていた私。体がこれ以上酷くならないための休養でした。
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それに頑張ってようやくここまで来たら、気が付けば近所には同業者が集結していました。色々な手口で私の聖域を犯し始めています。競争社会ですから仕方がない事は承知していても具体的な事実を知ると私の心はざわめきます。その結果、心臓がドキドキして頭痛が収まらず、胃の調子も悪くなり、眠れなくなりました。
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それでも指を咥えて時を待つのは嫌いな私、何らかの手を打とうと悪戦苦闘の日々。私にはどうして正義の味方が現れないのと、さめざめ泣いても何事も起こりません。仕方なくまたスタートの初心に戻って出来る事からコツコツと。
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そんな日々が続いた今日、例によってあまり調子の出ない私、その時ある言葉を思い出したのです。そう、あのキーワード、あれは若しかして恩師T先生の秘伝?そう思ってしまった私。そうなったらもう無我夢中、手応えあるまで歌い続けました。
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いつの間にか夕方になっていました。生徒さんへのレッスン曲や、昔の歌、自分のオリジナル曲、大好きなコーちゃん(越路吹雪さん)の曲、父の故郷長崎を忍んで『唐街雨情』も歌いました。そして難関の曲に差し掛かりました。この曲はかなり高音域の多い曲今日でした。
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ところが、どうしたのでしょうか、案外苦労せずに何とか歌えてビックリ。思ったより低いのかしら?と思っては見たのですが。しばらく考えていた私、突然閃いたのです。そうか、若しかしたら、これがT先生の仰ったなぞなぞのような言葉。この現象があれなのかも知れないと。
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大空に向かって気持ちよく歌っている自分がいて、その心は深い海のような静かな状態でした。今までの自分が嘘のような境地でした。俄かには信じがたい話ですが、私はこう思います。このインスピレーションの先にあるものそれが、無我の境地、これこそが歌の本質なのではと。(だったら嬉しいのですが)


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『歌は語れ、語りは歌え』 [歌人生]

歌は語れ語りは歌え。判じ物ようなこの言葉、実は歌を志すものとしての道しるべです。私は物心ついてから歌い続けてきました。幼少期に父をなくし母と祖母との三人暮らし。近所の子供たちとは遊んではいましたが、何処かさびしい私でした。その気持ちは母も同じ、いいえもっと深いものだったと思います。
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母が教えて呉れたのか父だったのか『お山の杉の子』という童謡がありますが、その歌詞の一節にこんな言葉があります。 『なんの負けるか いまに見ろ』というくだり。この言葉は幼い私のいわば座右の銘でした。当時体も小さく父親もいない私はよく虐められては泣きました。しかしそんな日々でしたが、家ではいつもこの歌を歌っていました。三つ子の魂というのでしょうか、逆境は私を強くして呉れました。
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さて歌の講師が職業になった今、今度はこの『歌は語れ、語りは歌え』この実践と指導が今の私の全てです。少し無謀にも思われる遥かなる挑戦です。人の心に沁みる歌、そのためにはこの判じ物のような言葉の意味を理解し、実践しそれを伝えてゆく。このことこそ、私が生かされている理由に思えてきました。
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何気なくじゃべる言葉だけれど有る時は人を救うことも、ある時は人の心を傷けることも。語るように歌うことの難しさを日を追う毎に感じてもいます。しかし今は自信をもって人に指導できるようになりました。すべて恩師のおかげです。厳しかったけれど信念がぶれない指導のおかげです。
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すでに晩年に差しかかった私ですが、教室へ通って下さる生徒さんお一人一人にこの宝を伝えてゆきたいと思っています。秋にはその第一弾もスタート。街の片隅からの小さな挑戦ですが、一念岩をも通す。これも母が好んで使った言葉です。 お母さん、見ていてくださいね。
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(今日の写真は2013年冬、すべての道は閉ざされた筈なのに、大雪の朝、運命の糸が結ばったのです。歌への挑戦がここから始まりました。)

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期待してもいいですか? [黄昏に向かって]

気持ちのいい朝です。夏バテ状態からやっと抜け出した感じがします。今日は日曜日ですが、開講日なのでこれから朝ごはん。一人で食べる食事も5年という歳月の中でようやく普通になりました。気持ちも充実してきました。
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数日前に財布を変えてみました。夏の初めに買った黄色い財布、フクロウさんのイラストがカラフルな財布です。購入から宝くじを入れて仏壇に。ご先祖の助けを頂いて一気に億万長者へ!と。 夢です。ささやかな出費で大きい夢を見ていました。
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さてその財布を使用する日が来ました。現在は黄色のクロコダイル風の財布です。そこでフクロウの財布から宝くじを取り出し宝くじセンターのサイトで調べてみました。胸をドキドキさせて。ところが…、なんと、当たりが次々に。昨年末から購入回数が7回、購入ごとに袋に入れたままの宝クジ、7回のう6回分に当たりが各一枚あったのです。
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ご存知のように宝くじは連番で10枚買えば確かに末尾が一枚当たります。大概100円か200円ですが。しかし私は連番は1セットのみ、あとはバラで2枚か3枚しか購入していません。夕食の買い物帰り、小銭入れを覗きながら買った宝くじ。今回は昨年末から5月ぐらの間に買ったものでした。勿論、当選金は最小単位ばかりですが。
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とても嬉しいのです。が、不思議な気がしました。これはもう『吉兆』以外はありません。「頑張れ!」というご先祖からの伝言だと思っています。なんだかこの秋は好い事がありそうな。頑張りま~す。11月からは昨年に続いて公開の講習会で今回も講師を致します。去年より進歩した私を見て頂けるよう頑張ります。

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星のイヤリング [青春の残像]

小さな星屑のようなブルートパーズのイヤリング。ふと目に留まった乙女チックなイヤリングを買いました。誕生日の記念です。私には不似合いの気もしましたが、この夏の思い出にもなると思って…。
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兎に角、悲喜こもごも暑い夏も終わり、明日からは9月。数日かけて4年目に入った教室の資料を作成しました。2日もかかってしまい自分でも吃驚です。
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この程度の書類ならどう考えても1日、いいえ半日で作れた筈なのに。分厚い提案書だって、印刷屋さんへ依頼するチラシの原稿だって、こんなには掛からなかった筈なのに。そしてまた落ち込む私。おまけに信じられないアクシデントが続けて2件起きてしまい、ますます弱気になったまま一夜が明けました。
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それでも案外目覚めよく朝を迎えた今日、しかしその爽快感も数分で敗れました。喉がひりひりガラガラ。幸いなことに31日の今日は教室はお休み。そこで仲良しのⅠさんに連絡し二人でトンカツを食べに行く事にしました。
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ランチタイムなのですが、今日は奮発して分厚いメユーのトップページの中から選びました。大きなエビ2尾とジューシーなヒレカツの盛り合わせ、シジミの味噌汁までお代わりして大満足した私達でした。その後教室へ戻り彼女の提案でオールデイーの数々を熱唱。二人はもうすっかり乙女気分。
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興奮も治まった今宵、例によってパソコン開く私です。心の中から苦虫も弱虫も退散した心地よい時間を過ごしています。あの小さなイヤリングに掛けた星の願いのお蔭なのか、友情のお蔭なのか。とにかく明日からの秋に期待一杯の私です。

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マルガリーターは恋の味 [黄昏に向かって]

今夜の川越、伊佐沼で恒例の花火大会が行われています。本当は私花火は大好きです。でも見物したのは幼い時分だけです。場所は文京区の江戸川橋という所です。橋の下は神田川になります。この橋からは隅田川の花火が良く見えたものでした。今でも音羽通の高いビルからはよく見えるそうです。
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私と母は東京生まれの東京育ち、祖母は16歳の時に茨城から祖父と出てきました。その後は焼け出される迄九段下で暮らしていました。いわゆる江戸っ子の私たちはほかの人もそうであったように、隅田川の花火見物には格別の思いがありました。「ほら、今度は仕掛け花火だよ」と祖母が言えば「わあ~綺麗~」とはしゃぐ私。父のいない私が思いっきりはしゃげる日でもありました。
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私が7歳になった時、新宿区早稲田へ転居した私たちは、もう花火見物は行かなくなりました。隣町なのですが、母の仕事も忙しくなったからです。母は早稲田は学生町なので麻雀やさんがいいと思い開業しました。しかし女三人の所帯ではちょっと難しいと知り、その後下宿屋さんをはじめました。
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その下宿屋はたいそう繁盛し、そのおかげで私は何不自由なく暮らすことができました。
いつの間にか19歳になってた私、体育の時間に学んだ社交ダンスが大好きになり、その後はすこし年上のUちゃんにダンスホールへ連れて行って貰うようになりました。
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渋谷にあったハッピーバレーというダンスホールには一番多く行った気がします。渋谷へは早大前から都バスで行けました。いつもかなり賑わいました。時々楽団演奏で踊れました。私はジルバとタンゴになると踊りたくて、踊りたくて。そのホールで知り合ったN大学の3年生Wさんと夜が更けるまで踊りました。
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その頃我が家では祖母も亡くなっており母と二人暮らし。私は大学受験も諦め、外に出る口実のアルバイトと社交ダンスに明け暮れる日々でした。大勢の下宿生さんの食事は母が一人で作っていました。そんな生活が1年ほど過ぎ私は20歳に。心配した母の勧めでお見合いもし、専門学校にも通っていました。その頃にはWさんも卒業し関西に行ってしまいました。
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しかし運命とは不思議、偶然出会った8歳年上のTさんに私は一目ぼれ。結婚したいと母に言うと猛反対。しかし何が何でも一緒になりたいと、高円寺のアパートを訪ねました。遅くになって帰ってきたTさんから「家に帰りなさい」と冷たくあしらわれ泣きながら母の所に戻りました。
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1ヵ月ほどして、有楽町で待ち合わせた私達、西銀座デパート近くのそのスタンドバーはもう顔馴染みになっていました。物静かなバーテンダーさんがマルガリーターをそっと置きます。ソルトを振る加減がプロフェッショナルです。時間が過ぎ、遅れたて来たTさんから意外な言葉を聞きました。
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話はその少し前に遡ります。Tさんはご両親に私を逢わせようと私の自宅へ電話を下さったそうです。しかし母は私が風邪で寝ていて逢わせられないと言いました。仕方なくご両親は九州へ帰られ、その後Tさんは結婚、子宝にも恵まれたそうです。
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心の痛手が深いまま私は23歳の夏を迎えていました。その年の春には専門学校の3年間も無事卒業、いよいよ青春とお別れすることにした私です。そしてまた一年が過ぎた頃、やっぱり結婚しよう~と思いました。母と二人の平凡だけど安定した暮らし、不満がある訳ではありません。しかしやっぱり母親になりたかったのかも知れません。あれから半世紀、結局私が母になる日は有りませんでした。
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乗りそびれた列車 [青春の残像]

今日は線路のお話。もっと詳しく言えば線路のそばで男と女が別れたお話です。あれは本当に遠い日の事。東京から川越にお嫁に来たのは23歳の時、今の川越郊外の造成地に作られた団地になります。まるで絵にかいたような郊外の一戸建て。広い庭には紫陽花やあの双葉より芳しと詠われた大きな栴檀もありました。
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結婚式を挙げる少し前にこの街に来た我儘娘が主婦になったのです。しかし12歳という年の差もあり、主婦業は思っていたほどの楽しさもなく、退屈が高じて次第に東京が恋しくなりました。東京の家からは都電に乗ると銀座まではそうかからず行けました。その頃40代の母は私を連れて銀座によく行きました。和装の多い母は草履や帯揚げ足袋を買い、私にはコックドール(月ヶ瀬)でパフエーなどを食べさせてくれました。
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そんな訳で嫁いでは見たもの周囲は見知らぬ人ばかり、しかも経済感覚の薄い私は預かった月給も20日余りしかもたず、あとは毎日同じおかず(いんげんの炒め物や、ごまよごし)が食卓に載るしまつ。私はとうとう癇癪起こし実家に帰る事になりました。
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駅までも道は商店もあまりなく舗装もありません。消防署を曲がるとそこはもう駅のそば。小さなボストンひとつ下げて、上りホームに出た私。程なくして上りが来ました。その時私は見たのです。線路の柵の向こうで夫が何かを叫びながら手を振っている姿を。ちょっと可哀そう~と思った私。僅かなシーンなのですが、不思議に印象深い青春の一コマ。
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そしてその後は可もなく不可もない人生が20年以上過ぎ、私と母は東京を去り川越に移転していました。私はそこから都内まで仕事に通っていました。6月のある日、鶴瀬という駅で降りた私、その日開かれる講演会に行くためです。会合も終わり出口へ向かう人波にもまれていた私の携帯に、メールが入りました。「出口で待つ」ただそれだけの。急いで出口に行くとタクシーに乗り込むメールの主が目に入りました。私も急いで乗り込みます。一瞬周囲のざわめきが聞こえました。
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私ちょっと優越感を感じました。つまりそこに集まった大勢の羨望の的になった訳です。10分程して車を降り、駅前の居酒屋さんに入った私たち。その方と向き合って座ったの初めての私は、すこしドギマギして意味不明の話をしたように覚えています。小一時間の後、私たちは駅の階段を上りフォームに立ちます。私は下り電車、その方は上り。暫くして下りがきたのですが、私は乗りませんでした。それを無視する二人。やや暫くして今度は上りが来ました。「じゃ、乗るよ」と私に告げて、上り電車に乗った人。
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だだこれだけの事、ただそれだけの話。駅のぼんやりした灯りと、少しぶっきらぼうなでも答えを待つような、あのイントネーション。今となっては私の妄想かも知れません…。でも私、本当は後を追てあの列車に飛び乗りたかった!              
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彷徨い、そして彷徨う。 [夢半ば]

秋の虫たちが鳴きだしました。あんなに暑くあんなに大暴れしたこの夏のお天気。なのに秋は必ずやってくるのですね。(一枚目に写真は2012年8月9日に見つけた羽化直後のセミ。この年8月25日は夫の通夜になりました。)
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あと五つ寝ると誕生日を迎える私、いまかなり動揺しています。周囲からは逞しく生きている、そう思われているのですが、自分ではそうは思いません。(2枚目は翌年2013年6月30日の公園です)
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真実を言えば、「本当に私、生きていていいのかしら?」こんな思いに始終苛まれます。自信過剰と言われるかも知れませんが、自分の非力さに愕然と。もっと力強く生きられると過信していました。(3枚目、これも翌年2013年7月11日の公園、青空をバックに木槿の花。)
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それが今になって行末が恐ろしいのです。いろいろ失敗もあった人生だったけれどいつでも強く立ち直れた筈なのに…。自問自答の毎日がもう一月続きます。(4枚目の写真は人生最大の激動の嵐が吹き荒れた2013.09.28日、夏の終わりを惜しむ蝶たちと、真剣に向き合っていたころです)
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身近な目標も、長期の目標もあるのに、今回だけは何故か叶う気がしません。努力しようという気持ちがあっても、何故か空気が読めなくなったり、行動に躊躇する自分がいます。情けない!恥ずかしい!もう駄目なのかも知れない!(5枚目は2013.9月.22日 この写真は私が好きな写真のベスト10に入ります。お滑り台は竪穴住居風です)
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全て経済力の無さにあるのかも知れません。思ったことの殆どを諦める事もしばしばで、世間にも不義理をしています。人の情けが恋しい自分に戸惑います。自分はこんなに非力だったのか? こんなに役に立たない人間だったのかと。(6枚目になります。この写真は2014.10.08に撮ったものです。カマキリにみた生命力。一人暮しの苦悩がますます高まった頃、孤立に苛まれめ、生きた心地のない日々、ただ救いは公園の生き物たちでした)
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人生を甘く見ていた?いいえ、いつでも努力を惜しまず真っすぐに生きてきたつもりでした。ただ母親には随分迷惑かけました。しかし何があっても人生を諦めずに生きてこられた筈でした。(7枚目、これも同年2014.10.02秋の訪れに乱れ作咲くキバナコスモス、蝶たちも忙しく飛び回っていました。私も初めて『ひもじい』という感覚を知った頃です)
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あれはあの幸せは幻だったのかしら? 勿論いまだって幸せには違いないのです。しかしどうしても『心がむずがる』のです。そして出口のない迷路を彷徨し始めました。(8枚目、この写真2013.6.24撮ったものです。黄色く光るもの、正体不明。蜘蛛かとも思うのですが、かなりの光です。また左右縦横へ移動します)
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昔ある方に言われたことがあります。「考えすぎるから、また迷路に入ってしまったね!」と。そう指摘されたときはショクでした。しかしそのお蔭で、その後は穏やかに生きられるようになっていた筈でした。(9枚目の写真は2014.03.16撮影、生きる事への絶望も頂点になったその頃、偶然撮れたこの一枚、幸せへの予感にすこしお洒落させて部屋に飾ってみました。)
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さて明後日は夫が亡くなって5年になります。市営斎場の順番待ちで、葬儀は私のお誕生日と同じ25日になりましたが。病気と分かって1年、入院して2日目。最後の最後まで私に気を使い「ごめんね、ごめんね」と謝りながら夫は逝きました。何かと戦ているような様子もみられとても辛い別れでした。(10枚目になります。2015.0316 公園のハーブです。この年、私の運命が大きく変わります。一枚一枚薄皮を剥ぐように悲しみが遠のいて行きました。)
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そして2017年の夏がまたやって来ました。平穏な日々です。辛いことは一つもありません。ようやく遠い灯りも見え始めて来たところでした。なのに、どうしてまた迷路を彷徨う私なのでしょうか。自分で自分が歯がゆいです。しかし胸の内にあるずしんと重い『将来への不安』言い換えれば『老後への不安』は否めません。解決などないのですものね。今度もまた時の流れに委ねるしかないのでしょうね。私もそれが一番だと思います。                                  最後までお読み頂きありがとうございました。
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人の心に伝わる歌を。 [歌人生]

私の職業は歌の先生です。といっても声楽家ではありません。アマチュアの歌好きが高じ寝食を忘れる程の勉強をして今の資格を頂いたわけです。それでも、一番最初に近所にある歌の先生宅の門を叩いてからもう40年近い歳月が流れました。
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その後は不動産の仕事に夢中になった時期もあり、中年になってから歌謡教室やカルチャーセンター等数か所を経て、最後に巡り合ったのが、現在ご指導いただいている恩師です。その後2009年にはCDデビュー、TVの歌番組出演やプロモーションビデオでのPR活動、歌謡祭やカラオケ大会のゲスト等、2012年まで夢中で過ごしました。
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初めての世界では目の眩む思いや驚きの連続、しかし正直やっぱり毎日が楽しくてしょうがない私でした。この浮世離れした生活に、夫の体に病魔が虫食った事も気が付かず、気が付けばお医者様からは最後通告を受ける事に。「あと数日の命です」と言い渡されました。お医者さんの言葉通り、たった二日の入院であっけない最後でした
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その後の生活は信じられない事の連続、しかし通夜の1か月後、私は母校のコンベンショんの舞台を踏み、同年12月には川越市民会館で某メジャー歌手のジョイントコンサートに賛助出演させて頂き、第一部のステージの緞帳上がりをさせて頂きました。この経験から歌が自分をきっと導いて呉れる、そんな確信を得る事になりました。しかしそう簡単な世界ではありませんでした。そう感じていたものの、数年間何んの兆しのないまま歌手生活は遅々として進みませんでした。焦るばかりの自分が惨めにも思えました。
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そして2014年、夢かと思えるような『歌謡教室開設』、この思いがけない幸運が私に起こったのです。奇跡だと今でも思っています。あれからもう丸三年が過ぎこの秋からは4年目に入ります。歌手になって満8年目の秋になります。
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さて話は変わりますが、歌手の歌は個性が大切です。しかし講師は自分の個性よりも生徒さんの個性を見つける事が大切です。さらに生徒さんの個性にあった指導も必要となり、座学と実技の両面から日々まだ勉強しています。
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最近、私は自分の声の出し方もを色々試しています。低い声、高い声。柔らかい声、硬い声。いろいろ試してゆくうちに声の不思議に出会いました。レッスンの曲は歌謡曲、演歌、ポピュラーミュージック、昭和歌謡等々になりまうす。ジャンヌによって声を変えて歌う事を楽しんでいますし生徒さんいも教室での勉強からその変化が起こると、大変喜んでくださいます。高い声が出しやすくなった!そんな評価も頂いています。
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声は年齢によっても変化するそうですし、病気や体の変化によっても声の色が変わる気がします。しかしいずれにしても、歌う以上は『人の心に伝わるような歌い方をする』これが最も大切です。自己満足型の歌も健康の為には良いのですが、友達同士や人前で歌う場合、聴く人にとって聞き心地のよい歌声と歌の内容が伝わる歌い方が一番大切だと思います。
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それ故、私の講座では一曲の歌を丁寧に観察して丁寧に大切に歌うことが上達への最短距離だと指導しています。私の歌人生は、趣味の歌声から指導する歌声へと一筋の道をここまできましたが、此れからも、高齢になっても何時までも楽しく歌える、そんな歌唱法の指導を続けてゆきたいと思っています。
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秋色気分。 [黄昏に向かって]

楊柳の涼しそうな夏掛けを買ったのが先週の水曜日、なのに今日の私は冷たい雨もあってかすっかり秋色気分。
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雨が気になって何時もより早い午後4時に教室を出た私は急ぎデパ地下へ。一番好きな野菜売り場に。ここは見るだけでも楽しい場所です。最初目についたのは訳あり里芋。大好きなので買いたかったのですが、小さな泥付きではどうやって調理していいのやら。残念ですが断念。
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今日の買い物は、秋茄子、小松菜、赤ピーマンにもやし。肉売り場で、鶏肉の塩こうじ漬け 生姜焼き用の豚のもも肉。トマトの代わりにトマトジュース。ヘルシーな根昆布入りのとろろ(1袋)などなど。珍しくお菓子類はありません。
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今夜の夕食は蒸し焼き。塩麹鶏肉を適宜、もやし・ピーマン、冷凍しておいた生シイタケ等を適宜、秋茄子(2個)。材料が揃ったら大きなフライパンにクッキングシートを敷き、これらを並べて塩コショウ、砂糖(微量)をこれも適宜に。フライパンと同じ直径の蓋をして焼く(蓋はほんの少しずらしガスの火力は弱火(最初は少し強火)。7~8分でジュージーな鳥と秋野菜の麹味(私が名前つけました)の出来上がり。好みでお醤油、レモン汁などOK。
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片付けはクッキングシートを使ったので、鍋もお皿も紙でぬぐう程度。飲みものにはトマトジュース。食後のおやつはとろろこぶ。緑茶を飲みながらつまむ。TV見ながらゆっくり食べました。
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実はこの4日間の休日でつくづく思った事があります。 やはり健康の為に食事のメニューが大切。現在の体調の悪さや意味の解らない胸や腰の痛さ、満腹に食べているのにグウグウなるお腹。この不健康な理由をWEBで調べてみると、覚えきれないくらいの病名が出てきました。
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やっぱり自分の健康は自分が管理する、その大原則を私は忘れていました。今更言うのは愚かなのですが、目覚めたのです。こんな当たり前の事ですが、守り切ることは至難の業。しかし今からしなければこれから迎える黄昏年齢を超すことはできません。今からでは遅いかも知れません。しかし出来る事はなんでも試みないと、母が越えた89歳の坂は登れませんので。
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そしてもう一つ、笑顔の絶えない暮らし。長生きする為には健康な体を維持すると伴に、心の健康も必須だそうです。確かに昔から『笑う門のは福来り』といいますね。でもでも、やっぱり辛いことも悲しい事も、寂しい事もあります。
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そこでこんなアイデアを。今の講師の他に本来の歌手としての活動も再開する。ただし、身の丈にあった範囲ですが。私の夢は小さなライブハウスで定期的に歌う事。歌い手聞き手の息づかいが聞こえる小さなクラブ。そんなレトロな場所で歌うのが夢です。
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災い転じて、まだまだ続く一筋の道。生きる原動力はやっぱり夢を持つことかも知れませんね。叶わなくとも目標に向かって日々が活き活き輝けばいいと思います。でもやっぱり実現させたい!!
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