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迷い道 [黄昏に向かって]

ご無沙汰いたしました。病というほどでも無いのですが、胃痛に眩暈に悩まされていました。5月病でも暑さのせいでもなく単なる我儘が原因だと思います。そんな中でも不思議に食欲は残っていましたので、命とは悲しいものです。
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今しがた迄YouTubeで歌を聞いていました。胃酸で喉まで傷んでしまったらしく、声を出す事に躊躇してしまいます。家ではあまり声も出さず、歌も聴くのみのです。先々への不安もありますが、先のことは分かりませんね。
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しかし精神的には回復しています。小さな庭に小さなグミが実ったり、名も知らない『柏餅の葉』に似た葉を持つ低木に、花のような房が出てきたり、去年は2輪しか咲かなかった紫陽花が6輪もの花をつけてり、だたそれだけなのに命の息吹を感じています。
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昨日のことです。教室が終わって駅前のデパ地下へ行きました。キャベツが欲しくて。するとまた偶然にSさんを発見。大恩人です。お嬢さんとご一緒でした。もとは猫友・犬友の仲でした。6年前から転居までの3年間、私から飼い猫に至るまで大変大変お世話になった方です。
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立ち話なのでほんの数分ですが、お嬢さんも交えて世間話。なんだか急に体の力が抜けて胸の痛さも治った気がします。そうなのです。人生という果てしない道で迷ったとき…昔の自分に出会うと人は、いいえ私は、内なる本当の自分に気付けるのかも知れませんね。
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今こそ『歌』を。 [黄昏に向かって]

哀しみは深いほど泣くことは出来ません。夫を失った時も、母の時も。しかし祖母の時だけは大泣きに泣きました。その時、私は17歳。祖母にすがっていつまでも何時までも泣きました。しかし母の時は泣く力さえ無い程、憔悴しきっていました。夫の時は事情が違っていたので、涙より不安で一杯でした。
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さてその後も紆余曲折の人生ではありましたが、今回のことで人の心が少しだけ見えてきました。川越はご承知のように観光の街に変貌しつつあります。物凄い活気に満ち溢れています。そのような時期にオレオレサギや広告サギの件は好ましくないのですね。たしかにそうかもしれません。穏やかな街・安心して過ごせる街だからこそ観光客は来て下さるですものね。それ故、私の災難は街からみれば迷惑な話しになります。
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さて、そうこうしているうちに5月も早半ば『うかうかしている』とあのうっとおしい梅雨に入ってしまいます。成功の秘訣は運と努力とタイミングだそうですが、まさに私は大概の場合、運はとっても良い方です。努力も人並みには致します。しかしタイミングの取り方、これはとても下手です。せっかちですから。早すぎるのです。一言で言うなら風が読めないのですね。
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私の人生、余すところどの位あるのか解りませんが、やっぱり急がないと。この10日間は『まさかの詐欺騒動』でしたが、これは私の中では既に解決しました。そこで中断していた体験講座や新しい試み、昭和歌謡を歌う会、それぞれを最初から組みなおそうと考えています。あせらず一歩一歩確実に進めたいので、すこし時間はかかりますが、自分の感を大切に進めようと思っています。
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いま昭和歌謡に多くの方の目が向いています。確かにその効果は、歌う本人にとっても聴く方にとっても絶大だと思います。その時代の自分を思い出す事で、確かな生きた軌跡を感じられますものね。歌いながらもふとその頃の自分に戻る事があります。そのとき、多くの方はとても『いい顔』されますね。私はこの現場を何回も何回も見ています。私自身も体中の血が動く感覚を覚えます。
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小さなライブを再開したい!どうしてもこの夢を叶えたいです。気張らず等身大プラスアルファーで勘弁していただき、小さな小さなMiyakoのライブしてみたいです。いいえ絶対に実行します。ここ数年でステージは嫌だと思うようになりました。理由は色々ありますが、経済的に難しい事と目が(左目)がかなり悪くなったようです。広い舞台では方向感覚が悪いとふらつく場合もあります。
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そんな訳で小さなお店の小さなライブ、独りよがりの勝手な言い分かも知れませんが、歌う人もいろいろ聞く方もいろいろ、『これしかダメ』そういう考えに縛られることなく歌人生を完結したいものです。しかし生徒さんには思い存分大きな舞台を踏んでいただけるよう、最後の力振り絞って頑張ろうと思います。
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いつも決意表明だけで終わってしまいますが(笑)、やっぱり年齢を考えると限界は必ず来ます。その時、自分が表面に出なくても私は裏方で十分幸せです。『出来ないからやらない』じゃなく、私のできることは最後までやります。やり通した時が夢の完結ですね。
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謹慎中です。 [黄昏に向かって]

悪夢は昨日の朝から始まりました。一件の見知らぬ電話のせいで、大パニックでした。犯罪者なのか、仕事に熱心すぎる人なのか…。今朝地元警察に聴いてみたら、最近この手の相談が多いそうです。少しほっとしました。
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すこし戻ってお話させてください。今年正月過ぎに一本の電話。聞いたことのある声です。『R』という雑誌に教室の広告出しませんか?という話でした。そのころ地元川越での広告考えていたのですが、新聞の折り込み広告にも出していたので、その雑誌に出す事にしますた。原稿は年初に出した埼玉新聞に出したものと同じ内容にしました。
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金額は21,600円でした。発売日は4月28日とのことで契約しました。T社という会社は本社が北海道札幌、私の担当は会津ということでした。担当はSさん、男性です。
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先月末に郵便で旅行雑誌『R』が届きました。中には21,600円の請求書。小さな広告ですが、それでも約束の赤字で目立つように出ていました。それから一週間ぐらい経った昨日、朝の10時ぐらいでした。出勤準備の忙しい時間ですが、携帯が鳴ります。相手は分かりませんが、webでも講習会の募集中でしたので急いで出てみました。
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開口一番、「雑誌『R』が出たので今度はうちの方です」と言う。「えっ」と聞き返す私に、「T社と同じ会社です」そんなニュアンスの返答でした。私が全く知らないというと、今担当の者呼ぶから~とまた叫ぶ。契約する筈が無いと言うと、T社と契約したとき一緒にしたのだという。続けてT社とは同じ会社だからと言う。
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これはオレオレ詐欺みたいと瞬間思った私、「消費者センターと警察に言いますよ」ときつく言うと、「そっちが警察ならこっちは弁護士を向けるぞ~」と、こんな感じだったと思いますが威嚇するように怒鳴ります。私の方から電話切りました
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その後すぐ110番をし今の内容を告げました。しばらくして地元警察からも相手の電話番号を教えてくださいと掛ってきました。すこし安心しましたが、念のため雑誌『R』の裏表紙に書かれた出版社に電話しました。電話に出たA氏に説明をしたところ、私が契約したT社は知っているとの事でした。
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夕方T社のお担当Sさんから電話。これこれしかじかと話すと、最近この手の話はよく聞くとのこと。それでも夜は心配なのでいろいろな方に聴いたり、webで調べたり。再度今朝警察に連絡しておきました。担当の方は、最近はこの手の相談が多いとの事でした。
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今日は幸い休みでしたので、ゆっくり家じゅうの書類を確認、当時T社と契約した際の原稿ゲラと金額が明記された書類が出てきました。よかったです。しかし世の中は随分ぶっそうな時代になったのですね。お蔭でこの2日殆ど食事してないので、体が軽くなった気がします。身辺が不安なのですが仕方ないですね。その脅かしてきた会社は都内にありますが、相当危険な会社だそうです。広告で命まで狙われる時代だなんて本当に恐ろしい世の中です。

昨日の混乱のなかで一度投稿したのですが、訂正があり削除しました。nice下さった皆様ごめんなさい。


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心ゆくまで。 [夢半ば]

五月の風が間もなく吹いてきます。思い出すのはもう止めよう~、そう思いながらもどうしても自分に納得できない私がいました。つい昨日までは。
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そんなに遠いい思い出ではないのに十数年ほど前の出来事なのに、私は其のころ確かに手ごたえを感じながら生きていました。まさか未来をバラ色だとは思いませんでしたが、それでもこれが人生だと納得して生きていました。家族も友人も気兼ねなく笑いあい喧嘩しあってきたのに…。
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これが運命だから、そんな単純な答えしかできない今の自分が情けなくて…。一人ひとり友人が消え、また一人と去ってゆく人。大切に大切に、決して無くさないように大切にしまっておいた宝物、私のあの歌がだんだん離れてゆく気がして…。
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それはある一言が起爆剤でした。“通信カラオケに入ってないんじゃね” そうなのです。歌手の曲はどの曲も通信カラオケに入っている、そう思われる方が殆どですが、そうとも限らないのです。インディーズからメジャーへ。私もその為にその日を夢見てテレビや舞台で経験を積んでいました。その途中にあの悪夢。
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その後、一人ではどうにもなりません。しかしCDで歌わせて下さるお店や舞台もありましたので、随分いろいろな場所に行きました。しかしこの通信カラオケに入っていないのはやっぱりマイナスになります。「それじゃあ歌手じゃないわね!」と言われる度に胸に刺さります。でも今はこれを心無い言葉だとは思いません。確かにユザーさんから見ればそうなるかもしれません。
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悩みぬいたけれど仕方がないと諦めるしかありません。しかし心の奥ではなんとか一曲だけでも通信カラオケに入れたい、そう願い続けて10年余りの歳月が経ちました。その件ではもはや絶望的です。
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しかし今度の休暇でようやく結論がでました。やっぱり自分の力で時々機会を作って昔のように歌ってみよう~。体調のいい時を狙ってやってみようと。豪華な着物も、ロンングドレスもないけれど歌ってみようと。今は認知度がないけれど頑張ってみようと。
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最近感じていた深い哀しみや苦い水は、すこし人を頼りすぎたせいでした。人を頼れば自らの念力は失せてゆきます。寂しくて辛くてついつい人を頼ったのかもしれません。亡母はたった一人で家も建て、たった一人で祖母と私を育てぬいてきました。それに比べたら私の不甲斐なさ。最近は涙も枯れました。
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遠い先のことは神様にお任せですが、せめて生きている内は歌える間は、やっぱり自分の声で自分の歌を歌い続けたい。それが本音です。それもこれも思いがけない三連休にすっかりリラックスした私、迷いなく出た結論は“当然なことを当然にやる”という事でした。
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ところ変われば…。 [青春の残像]

幼い頃の話なら10分も話せば種はなくなってしましますが、成人してからの行動や思考については今でもよくわからないところがあります。現在の私はどのあたりの私と似ているのかと考えてみると、案外中学生の時代の一番真面目だった頃によく似ている気がします。勉強がすきな努力家。でもちょっぴり夢見がち。
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あの頃の我が家は大隈講堂のある大通りと早稲田通りの間にある住宅地の中にありました。家の前はホームランというお寿司屋さん。左隣はクリーニンング、その他理髪店に酒屋さん、婦人服のお店、ペンキ屋さん。家は細長い敷地の上に表通りから裏通り迄続く長細い2階建ての建物で、下宿屋さんを営んでいました。
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30歳まで住んでいましたからもう44年の歳月が流れていますが、ふとタイムスリップすることがあります。思い出が深いのは何といっても祖母が健在だった小学生の頃。縁側に座って物売りのアサリやさんと話す祖母の姿が浮かびます。その頃祖母の白い髪は断髪でした。浅利売り声が今でも思い出せます。
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アサリ屋さんは浦安から来ていたと祖母から聞かされていました。その頃の母は昼は喫茶店、夜は料理屋さんで働き私と祖母を養っていました。私が眠ってから母は帰宅するのですが、時々大きな折り詰めをもって帰宅し、夜中に私を揺り起こします。翌日大きな鯛を祖母にむしってもらい食べた記憶があります。昼間の母は美容院へ。
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家には時折呉服屋さんや紺屋(こうや)さんが来ます。玄関近くの座敷一杯に反物を並べ、母はしきりにその反物を肩にかけ鏡を覗きます。どれを買おうか迷っている姿を私はじっと見ていました。10代の頃になると、母は「都ちゃんどれがいいの?」機嫌がいいと私や祖母に新調して呉れる母でした。晩年、母は家一軒分では利かないくらい着物を作ったと言っていました。この紺屋(こうや)さんとは染物屋さんの事です。着飽きた着物はもう一度染め直して仕立て直して着るのです。私の羽織も母の着物を染め直したものでした。
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最近、私の住む川越では着物が大ブームです。観光客の方も着物で散策したり、逆に市民も着物で各地へ出かけ交流したりと。幼い頃からぽっくりや下駄を履いて遊んだ私、勿論大の着物党です。しかし着物は購入も高価ですが、それに伴う付属品の準備にも費用が掛かります。しかし今の私の暮らしぶりではとても高価な着物を買う力はありません。街着と言えども大島や結城などの紬はそうとう高額になりますし、帯も着物に合わせ季節ごとに変えてゆくので、普段着としてはなかなか着られません。そんなことあんなこと考えるとまた母の艶姿が目に浮かびます。ちょっとばかり神様、恨んじゃおうかしら。
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和服の母と歌舞伎座や、新橋演舞場へ。浜町の明治座へは新派を観にしばしば通いました。その為に家でも着物を良く着せられていました。しかし何の因果かこの着物ブームの街に住みながら、全く着物を着ない私。最近はステージも出ませんから本当に着る機会が無くなってしましました。なんという皮肉な運命かと嘆いた事もありました。しかしそれが運命とあれば仕方がないですね。
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母のタンスには今でも母の着物が沢山ありますが、手入れせずにはもう着られないかも知れません。そこで数年前から冬になると掛布団の上に好きな着物を掛けて寝る事に。正絹ですからとても暖かく、優雅な気分に浸れます。でもやっぱり何時かは髪をきりりと結って、母が好きだった履き心地好いあの草履を履いて、足袋はええと…舞台や踊りでは4枚こはぜを使います。何を言っても負け惜しみにしか聞こえませんね。でも母は言いました、人間は意地を持ちなさい!意地を。そうですやり通す意地を持たなくては夢はかないませんよね。
なのでいつになるか分かりませんが、この街で着物姿で歩く私が居るかも知れません。最後まで読んで頂いてありがとうございます。つい興奮して長文になりました。





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いろいろあるけれど…。 [夢半ば]

最近心がちょっぴり弱気になった私、すこしのショックでなかなか立ち直れません。しかしよくよく振り返ってみれば、私の人生、随分波乱万丈でもあり痛快な人生だったとも思います。
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昭和二桁の初期に生まれた私、その頃の東京は東京市と呼ばれていました、しかし私が生まれた数か月前、東京は市から都になりました。つまり東京都になった記念で父は私に都(みやこ)と付けたことになります。このエピソード、今の私は、時々三択クイズで使います(笑) 最近では年がばれるようにわざと使います。同情を期待して(苦笑)
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さて話はかわりますが、先日来ブログが書けなくなっていました。書いては消し、消してはまた書いて。そんな日々が続きました。書くほどに感情が高まり悲しくなって絶望的になって。でも後で読み返せばそんなに悲しくも辛くもない私なのに。
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きっと春のせいですね。お天気の変動も激しい季節なので体調にも変動があるようです。胸がつかえる、背中が痛い。熱があるような気もする。時々動機が激しくなる…。病名は解らないけれど、風邪にも、食べ過ぎの様でもあるし。案外恋煩いかも知れませんが、いいえまさか。もっと重篤な病気では?
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しかし食欲もあるし、よく眠れるし。そこで出た結論は自己診断ですが『加齢現象』。それを言われると二の句がつげません。兎にも角にも元気になりました。さらなる興味の的も絞れてきました。5月の連休は毎日仕事になります。これでいいのです。働き続ける事が私にとって一番幸せなのですから。
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我儘の代償 [歌人生]

春の宵は朧に更けてゆきます。最近、左の中指にブーケの指輪をしています。楽譜を出したり、お茶を勧める場合に手を綺麗に見せられるようマニュキュアと指輪は忘れずにしています。さて、今日もまた古いブログ、その現存する中から2012.10川越祭りの頃のブログの一部ご紹介させて下さい。
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      写真はトラ吉(当時は18歳の老猫でした)

2012年10月20日土曜日
川越祭

携帯の待ち受け画面にある夜景は丁度今日と同じ、昨年の川越祭りの日のものだ。
まだ元気がった夫と浦和からのレッスンの帰りに何気なく撮った写真。
29年共に過ごした歳月は二度と戻りはしないが、二人の共通の『夢』は、歌手Miyakoが歌う『小江戸桜』のヒットだった。地元歌手として満三周年の秋を迎える直前の8/20に永遠の眠りについた夫。私はただ茫然と、なす術もないまま2か月を過した。

しかし、毎年のことながら『祭り』前夜の緊張と興奮が入り混じった雰囲気は、川越市内からすこし離た所に居を構えた私にも伝わって来る。

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千昌夫&新沼謙治ジョイントコンサート(第一部)
亡夫が撮った最後の写真です  (埼玉会館大ホール)

川越は伝統の街に相応しく四季折々の見どころも沢山あるが、春の桜、蔵づくりの街並み、そして絢爛豪華な川越祭り等、どれもが趣ある風情をもたらしてくれる。
Miyakoが歌う『小江戸桜』はその川越の風物を入り込んだ情感ゆたかな曲です。亡夫と私はいつの日か、この曲が世界に飛び出す日夢見ていました。

これからは一人暮らす訳ですが、心細さと戦う為にも、二人で見た夢の実現にむけて『初志貫徹』の精神で一歩でも前進して行こうと思います。どうぞにに皆様、応援して下さいね。
投稿者 miyako 時刻: 10:03




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忘れ物 [八重の狐]

インスタ映えにあこがれて1週間ほど投稿を重ねてみました。画像処理をする楽しさもあり、少々重かった『春の憂い』も殆ど治ったようです。その原因のひとつは、今月が年金受給月である事すっかり忘れていたからです。偶然に会話の中でそのことを知り、ひと安心。季節の変わり目はいろいろ経費が掛かりますが、私も個人、教室と重なると大変。その多くは少額でも広告費なども日常的にかかります。
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さて4月が始まって15日もたちました。あと半月あまりで5月を迎えます。5月と言えば祥月命日になります。実は今から15年程前に、亡母を思って書いた詩があります。何回か投稿などしましたが、何回読み直してみても、あの感情は経験した人でないと解らないような気もします。
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認知症という言葉が日常的に見聞きされるようになった昨今とは違い、当時は誰に聞いてもはっきりした病状すら分かりませんでした。母79歳にアルツハイマーと聞かされ、その後10年以上の歳月を母は頑張って私の為に懸命に生きて呉れました。今日は2011年11月31日付のブログに投稿した『雑木林』という私の詩をもう一度投稿させて下さい。
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      雑木林           
            作:宮本 都

 車いすが揺れる 母が笑う
 仔犬も笑う なのに私は泣いていた。
 サァーと一陣の風が 雑木林を抜ける   
 この瞬間私は 
 無限大の愛に包まれていた 

 「牛乳飲む?」
  母の目に鋭い光が走る
  残った五感が反応している
  チュチュ チュ チュ
  母が微笑む 仔犬も微笑んだ 
  私もそっと微笑んだ
 
 車いすが揺れる
 梢がざわめく 車いすが揺れる
 雑木林に 風が亘って行った


後記:平成16年5月、10年にも亘るアルツハイマー
病との闘いも終わり、89歳天寿を全うした母への
鎮魂歌として書いたものです。
難病といわれるこの病気ですが、「老い」という、
誰しもが通る道にある病という堰、これを越える
にはやはり家族の愛情が不可欠だと、自身への
反省を含めて思う次第です。

    
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風騒ぐ [八重の狐]

時の流れについて物思う頃がありました。遠い遠い昔です。『あと3年ぐらい待てる?』そんな言葉を生まれて初めて聞いたのは十九の時でした。当時社交ダンスに夢中になっていた私、パートナーとしてダンス初心者だった私を導いて下さったWさん、N大を卒業し、そんな言葉を残して大阪へ。
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その時の私は何を思い何を考えたのかもう忘れてしまいましたが、心の中に大きな穴が開いたように…。しかし当時はそれを初恋とも気が付かず。その後結婚までの年月、再び彼のような良きダンスパートナーに巡り逢うことはありませんでした。
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其の後30代になり再びダンスに巡りあった私、ダンス教室で出会ったSさんは私より7歳年上ねダンス歴はかなりの方。其処からまた私のダンスへの想いは再燃。明けても暮れてもダンス三昧。しかし10代の時の踊りのように羽根を持った私にはとうとう出会うことは出来ませんでした。其の後ダンスとの縁が薄くなり、私には殆ど縁が薄かった不動産、建築の業界でスキルを積むことに
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初めての職場は東京丸の内、職場の先輩は所謂不動産のスペシャリストばかり。入社時から2年間は同行させて頂きながら勉強の日々でした。仕事が終わると八重洲界隈のスタンドバーで飲み歌った日々、此処から私の営業マン人生が始まりました。
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不動産から建築へと舵を切ることになったのは川越に転居後になります。この仕事も更にエキサイティングでした。初めての輸入住宅と対面した日、勉強のために北米、カナダへの研修旅行。建築営業のみならず設計士へ挑戦た日もありました。しかし2級建築士試験では学科のみ合格、3年間の猶予があるものの実技では2年とも落第。当時はきっと泣き叫びましたが、今ではいい思い出です。
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悲喜こもごもの人生ですが、その人生の沢山の経験や出会った方々の思い出が今の私を育てて下さったと改めて思う今日この頃、これから私、今度は誰かの思い出になれる自分でありたいと秘かに心に決めています。
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記憶の糸 [八重の狐]

寂しい部屋を飾るのは仏壇に供えられたトルコ桔梗。グラデーションが美しいピンクの大輪です。桔梗と言えば紫の慎ましやかな花、母が大好きな秋咲く花を連想しますが、この頃はいろいろに品種が花屋さんの店先を飾っています。

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この3月から体調不良だった私ですが、睡眠と食事のコントロールが成功したようで随分元気になりました。肝心な喉の調子もだいぶ良くなってきました。睡眠不足はやっぱり良くないですね。今の私には大した心配事がある訳ではないのですが、睡眠不足の原因は暮らしのあれこれもあるのです。

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緩んだ鍵穴の修理や、詰まったエアコンの掃除、外れそうな便座の修理、放置したままの庭の粗大ごみ、押入れに入ったままの不要のボロ等々の始末。この程度の事は誰でも体験する日々の暮らしの一コマですね。しかし一人暮らしで加齢の私には大変な重労働です。連休には、夏までには、何回も何回もそう思いながら転入以来三度目の夏を迎える事になりました。

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そう言えば、桜の季節で最後を飾るのは八重桜ですね。実はこの春、私はあの桜に無性に会いたくなりました。八重の狐の故郷です。いつもなら4月の半ばから咲き始めるのですが、今年はもう咲いている筈です。あの樹とは悲しみや喜びや感激を分け合って来ました。母の想いもたくさん詰まっています。PCにある沢山お写真の殆ども、あの樹のある三角公園から始まったのです。今年はそろそろ八重桜に逢いに行ってもいい頃かと思う私です。




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